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ご近所の村田さん――ある日公園で見かけた元ベイスターズ・村田修一選手の日常

文春野球コラム フレッシュオールスター2023

2023/07/18
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あの息子さんと村田さんにそんな命の物語があったとは

 その後私は村田さんがどんな選手なのか興味を持つようになった。村田さんはその年から2年連続の本塁打王ともなり、ベストナイン、オリンピック代表、WBC代表にもなった。ようやく私の中で近所の村田さんを横浜ベイスターズの大スター、村田修一選手と認識されたのだ。そりゃあの時、ご近所のお母さん達が慌てて色紙片手に走ってくるわけだ。

 その後も時々、ご自宅に招いたベイスターズの若手選手達を見送る面倒見の良い先輩としての姿や、通りかかった中学生野球部男子達と気さくに談笑する姿などを見かけ、大スターの素敵な普段の姿を身近に感じながら暮らしていた。

 私は選手としての村田さんも気になったが、同時に息子さんの話も耳にした。息子さんは、早産により超低出生体重児として誕生したがその6日後に神奈川県立こども医療センターのNICUに救急搬送され、手術と入院。そしてそこで生命の危機から救われた。プロ4年目だった村田さんは、試合後に病院へ駆けつけ小さな我が子に声を掛け続けた。

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 息子さんが生命の危機を乗り越えたその年、初めて大台を超える34本塁打。翌年からの2年連続本塁打王につなげたのである。私が公園で出会ったのはちょうどこの頃だったのだ。よちよち歩きのあの息子さんと村田さんにそんな命の物語があったとは。息子さんの存在があったからこそのあの活躍だったのだ。その後村田さんは、このNICUを自身の「原点」と話し、毎年慰問や寄付金贈呈、入院中の子供達の球場招待などで支援することを恒例の活動とし、打点基金も設立して支え続けたという。

 その後横浜ベイスターズから読売ジャイアンツにFAで移籍。ご自宅も我が家から離れた場所にお引越しされ、もう私がご近所で姿を拝見することはなくなってしまった。しかし、私は巨人へ行っても村田さんをずっと応援していた。テレビでも大人気のスター選手となっても、「ささえるん打基金」で新生児医療を支援していたらしい。常に全力プレーで子供達に元気と勇気を与え続けてくれたのだ。

 村田さんは2017年まで巨人で活躍し、自由契約となった。NPBでの移籍先を探しつつ18年3月に独立リーグBCLの栃木ゴールデンブレーブスに入団。NPB復帰を目指すも叶わず、シーズン終了までBCLでプレーを続け、2018年9月9日に現役を引退された。19年からは巨人でコーチ、23年からはロッテでコーチを務められている。

 私はここまでずっと村田さんとご家族を陰ながら見つめてきた。村田さんはずっと野球に関わっておられ、今は後進に自身の野球を伝えている。何かの番組であの時の息子さんとその弟くん達が大きく賢く成長された姿も拝見し、ほろりと涙も流したものだ。

 公園での出会いが、村田修一という素晴らしい野球選手の一大人間ドラマに私を引き込んでくれた。あれから私の方も子供の受験や自分の親の介護で慌ただしく過ごしているが、村田さんのおかげで野球の魅力を思い出し、野球観戦だけは自分の生き甲斐として大切なものとなっている。

 ここまで熱く語って来た割には、今は私は村田さんとは関係なく、東京ヤクルトスワローズファンとしてどっぷり野球漬けの生活をしている。しかし、決して村田さんの動向は見逃さないし、応援も続けている。

 こんなファンもいるのだなと少しでも知っていただけたら幸いである。

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