大豊さんの生き方とはちょっと違った座右の銘
一緒に取材したカメラマンが異動する時、久しぶりに大豊さんと呑んだ日の事を覚えている。
草野球好きのカメラマンへのプレゼントのキャッチャーミットに、何か座右の銘を書いてくださいよ。僕は、大豊さんにそう頼んだ。
すると大豊さんはマジックで言葉を書いてくれた。
達筆で書かれたその言葉があまりに良かったから、僕は自分の取材ノートにも書いてもらった。
得意淡然
失意泰然
物事がうまく行っている時でも、驕ることなく淡々と。そして、うまく行かない時にこそ泰然自若として生きる。その言葉は、時に周囲と激しく衝突した大豊さんの生き方とはちょっと違って見えた。もしかしたら「そう、ありたい」と自分に言い聞かせてきた言葉なのかなと思った。
その後の阪神でも、戻った中日でも、大豊さんは全盛期の輝きを取り戻すことはできなかった。引退してアジア地区担当スカウトといった活動をしていた時も、自分の扱いについて不満をもらすこともあった。
そして病との戦い。大豊さんが亡くなった後、もっと連絡を取るべきだったと僕は後悔した。(僕にはそんな後悔が多い)
大豊さんが亡くなって8年が過ぎた。携帯電話には、今も大豊さんの番号が残っている。豪快なホームランの放物線も、タイミングを外されて空振りする姿も、きっと多くのファンが覚えているはず。でも、僕が忘れられないのは、お酒を呑んでご機嫌になってホテルの部屋で一本足で立つ、あの大豊さんの姿だ。
「門倉くん、もっと強く押してみろ」
そうやって大豊さんは笑った。
あの夜、僕らがどんなに押しても、一本足をあげて静止した大豊さんは、ぴくりとも動かなかった。太く根を張った大樹のようだった。
そうだ。どんなに厳しい時だって、大豊泰昭の一本足はびくともしなかった。僕はそう覚えていようと思う。
◆ ◆ ◆
※「文春野球コラム ペフレッシュオールスター2023」実施中。コラムがおもしろいと思ったらオリジナルサイト http://bunshun.jp/articles/64376 でHITボタンを押してください。
この記事を応援したい方は上のボールをクリック。詳細はこちらから。