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「もっと強く押してみろ」大豊泰昭の一本足はびくともしなかった

文春野球コラム フレッシュオールスター2023

2023/07/18
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※こちらは公募企画「文春野球フレッシュオールスター2023」に届いた原稿のなかから出場権を獲得したコラムです。おもしろいと思ったら文末のHITボタンを押してください。

【出場者プロフィール】マエダタツヤ 阪神タイガース 51歳。

ディレクターとして、スポーツ番組を作ってきました。選手時代(20年前)と監督時代(去年)に矢野燿大さんのドキュメンタリーを作れたのがささやかな自慢です。(なので今年は、少し微妙な気持ちで阪神を応援してます笑)

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 それは1999年の春。まだ阪神が高知県安芸市でキャンプを張っていた頃。初めてプロ野球選手の取材をした。

「おい、門倉くん。ちょっと押してみろよ」

 焼肉を食べて大豊さんが泊まるホテルの部屋にお邪魔すると、大豊さんはそう言って一本足打法で構えて見せた。

 僕らがどんなに押しても、一本足で立つ大豊さんはびくともしなかった。根を張った大樹のようだった。

一本足打法の大豊

本音では納得していなかった“フォーム改造”

 その年、野村克也が阪神の監督となり、低迷するチームをどう変えるのかに注目が集まっていた。大豊さんはホームランばかりを狙って、チームバッティングをしない利己主義的な選手だと、野村監督から公然と批判されていた。

 その「一本足打法」をやめろ、と。

 台湾で生まれ育ち、王貞治に憧れてプロ野球の世界にやってきた大豊さんにとって、一本足打法でホームランを狙うことは、アイデンティティのようなものだった。キャンプでは、一本足をやめてすり足のようなフォームに挑戦していたけれど、本音では納得していないことは明らかだった。

「俺がホームランを打てば、チームの勝ちにもつながるのに、なんでそれじゃダメなんだ」

 酔うとそんな本音が飛び出した。

「そうだろ? 門倉くん」

 ちょっと据わった目で僕を見る、その眼差しを覚えている。僕は門倉なんて名前ではない。大豊さんはかつて中日時代にチームメイトだった門倉選手が僕に似ていると言って、いつも僕をそう呼んだ。僕はちょっと嬉しかったから、そのままにしておいた。

 番記者ではないから、番組が終わると野球の現場からは離れる。それでも大豊さんのことは気になって、たまに電話で話したりした。

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