大きな期待を背負ってプロ入りしたものの、なかなか結果が出ず、孤独なプレッシャーに押しつぶされそうになっていた若き日の菊池雄星。そんな彼を温かく、時に厳しく見守り続けたのは、意外にも石井一久だった。

 左の本格速球派の先輩は菊池にとってどのような存在だったのか。菊池雄星が書き下ろした『こうやって、僕は戦い続けてきた。』(PHP研究所)の一部を抜粋して紹介する。

石井一久 ©文藝春秋

◆◆◆

ADVERTISEMENT

誰かの心を照らすような存在になる─石井一久さんの教え。

  プロ野球選手としての僕の道のりには、数えきれないほどの出会いと出来事がありましたが、その中でも、あの人の存在なくして今の僕は語れない。そう断言できる人がいます。

 同じ左の速球派ということもあり、僕がまだ野球少年だった頃から、その人の投球スタイルに憧れていました。まるでブラウン管の向こう側で見ていたヒーローが、ある日突然、目の前に現れたような感覚。それが、石井一久さんとの出会いでした。

 幸運なことに、プロ入り後、石井さんと同じ埼玉西武ライオンズでお世話になることができました。そしてプロ2年目のオフシーズンからは、カズさん(僕はずっとこう呼ばせてもらっています)と一緒に自主トレーニングをさせてもらう機会に恵まれたのです。

 トレーニングそのものはもちろんですが、強烈に記憶に残っているのは、日々の食事です。カズさん、本当に毎日、焼肉しか食べません。遠征先でも、まず焼肉。

 お酒を全く飲まないカズさんは、ウーロン茶とコーラが定番。僕もそれに倣って、毎晩のように焼肉。そしてウーロン茶とコーラという日々が続きました。今思えば、あの食生活が僕の身体をつくったかどうかはさておき、カズさんと過ごした濃密な時間の象徴として、僕の記憶に深く刻まれています。

 当時の僕は、大きな期待を背負ってプロの世界に飛び込んだものの、なかなか結果が出せない日々。