菊池雄星の強靭なメンタルと優しさは、両親の深い愛情によって育まれたものだった。その原点であり、プロ野球選手になることを決意した大きなきっかけがある。

 ここでは、菊池雄星の著書『こうやって、僕は戦い続けてきた。』(PHP研究所)の一部を抜粋。中学生の菊池が体験した忘れられないエピソードを紹介する。

©菊池雄星

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両親への感謝を忘れない。

 僕は子どもの頃、8つの習い事をしていました。それは、他の3人の兄弟も同じでした。毎日、兄弟全員が、何らかの習い事に通っている─それが「菊池家の日常」でした。

 当然、安くはない月謝がかかります。少しでも節約するために、両親は車を2台持つことを諦めました。父は原付バイクで仕事に行き、習い事の送り迎えはすべて母が担当していました。

 両親は共働きでしたので、母は16時に仕事を終えると、すぐに子どもたちの送迎に走り回りました。4人の子どもたちを迎えに行き、家に帰るのは毎晩21時頃。そこからご飯をつくり、家族で少し遅い夕食を食べる。そんな生活が、僕が高校に入寮する15歳まで続きました。

 小さな盛岡という街にもかかわらず、東奔西走する我が家の車の年間走行距離は3万キロを超えていました。それでも、両親の口から弱音を聞いたことは一度もありません。

 両親は、結婚したときに「子どもの前で人の悪口と夫婦喧嘩は絶対にしない」と約束したそうです。僕は、その約束を破る両親を一度も見たことがありませんでした。

 中学2年生のときのことです。給食費を集金に来た父母会の方に、母が玄関でこう言いました。

「すみません。明日まで待ってもらっていいですか」

  その一言が、僕の人生の分岐点になりました。その夜、母に言いました。

「プロ野球選手になって、楽な生活をさせてあげたい。こんな古い借家じゃなくて、大きな家をプレゼントする」

 そして続けて、

「出世払いするから、野球のトレーニング器具や上達のための本は全部買ってほしい」

 と伝えました。