そんな父が癌を患ったと聞き、僕はすぐに医者である兄に状況を尋ねました。「長くて5年かな……」と兄が言いました。

 それからは、旅行に行ったり、食事に出かけたり、球場に招待したりと、できる限りの時間を過ごしました。

 けれど、会うたびに100キロあった体重は目に見えて減り、190センチある身長も、どこか縮んでいくように見えました。

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 結果的に、父は約4年の闘病生活の末、2019年に亡くなりました。僕もできる限り病院を探し、身体に良いと言われるものは何でも試してもらいました。

「やれることはやった」と思う一方で、唯一やり残したことがあります。それは、父と「サシ飲み」をすることです。

 成人したときに周囲の大人たちから「親父が元気なうちにサシ飲みしておくんだぞ」とよく言われていました。

 しかし、「いつでもできる」という気持ちと、少しの恥ずかしさから、なかなか言い出せませんでした。そうこうしているうちに、父は癌を患い、お酒を飲むことができなくなってしまいました。酒豪で知られた父と、酔った勢いに任せて、いろんな話を聞きたかった……。それが、今も唯一の心残りです。

 父の葬儀には、3000人もの方々が集まってくださいました。一介のサラリーマンの葬儀に、これほど多くの人が訪れてくださったことは、まさに父の人徳そのものだと思います。

心に残る「父の言葉」

 僕は、シアトルでの入団会見が、父と会った最後の日になりました。父は、おそらくこれが最後になるとわかっていたのでしょう。

「良いときも悪いときも、変わらず応援してくれた人を大切にしなさい。そして、地元・岩手を忘れずに」

菊池雄星 ©文藝春秋

 父は僕の目を見てそう言いました。

 2024年、僕は岩手に「King of the Hill」(K.O.H)という野球施設をつくりました。

「都心部に」という考えもありましたが、父の言葉が最後まで頭から離れませんでした。

 野球選手は、どんな選手でもいつかは引退します。引退するその日に、どうありたいか──。父はそれを、生き様と死に様で、僕に教えてくれた気がします。

次の記事に続く 《構想と施工に10年間》菊池雄星が、都心部ではなく“岩手”に巨大野球施設を建設した“切実なワケ”

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