結婚式は恥ずかしいもの
ここまでお読みの方はおわかりの通り、私は結婚式をしていない。つれあいともども、人前に自分たちの姿をさらすような恥ずかしいことは、絶対にごめんだった。
ということを話すと、「あなたはアナウンサーという特別な職業に就いていて、日ごろから綺麗な洋服や着物を着て人前に出る機会があるから、そう思うんですよ」と知人の評論家に諭されたことがある。一般の人は、綺麗なドレス、あるいは着物を着て人前に出る機会などめったにないから、結婚式を楽しみにしているのですよと。いわば結婚式は、普通の人がヒーロー、ヒロインになれる特別な場なのだと。
この理屈はわかる。私は仕事で、さまざまな衣装を着ている。
しかしそれはあくまで公の場での私であって、プライベートではできるだけひっそりと、人目につかずにいたい。それが私の美意識なのだ。ひそやかなものこそ美しいし、面白い。恋も、人知れずにやっているうちが甘美なのだ。
一方、淋しい場には一人でも多くの人がいたほうがいい
美意識は恥の意識と表裏一体である。
ひそやかなものが好きな私は、人前で「今日から夫婦です」と宣言すること自体が恥ずかしい。それはすなわち「今日から二人で寝ます」と同意で、そんなことを大っぴらに言うなど羞恥の極み、だと思うのだ。
だから私には、結婚式は美しいものではなく、むしろ醜いものに映るし、白いウエディングドレスも、純白のはずなのに、くすんで見える。白は難しい色ということもあるだろう。
これらはあくまで私の結婚式観であって、やりたい人はやればよい。つれあいの教え子の仲人を頼まれて、結婚式に出たことも何度かある。
とはいえ、結婚式にはあまり行きたくないのが本音だ。もともと人が集まる場所が好きではないし、お祝い事は私が行かなくても、そういう場を好む誰かが行くだろうと考えてしまう。
一方、お葬式は、お通夜も含めて、行けるときは必ず行くようにしている。故人とお別れをしたいし、淋しい場には、一人でも多くの人がいたほうがいいだろうと思うからだ。