かつてはゴールデンタイムでの独占生中継放送が行われることも珍しくなかったように、有名人の結婚式といえば、お金をかけた盛大な式をイメージされる人が多いだろう。そんな時代に、当時NHKアナウンサーだった下重暁子は結婚式を開かず、さらに結婚写真も取らないという選択をした。同氏の考える結婚観とは――。

 ここでは下重氏の著書『結婚しても一人 自分の人生を生ききる』(光文社)の一部を抜粋し、当時のエピソードを紹介する。(全2回の1回目/後編を読む)

下重暁子氏 ©文藝春秋

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派手婚vs地味婚 結婚式の移り変わり

 ここ数年のコロナ禍の反動か、昨年から結婚披露宴が増えているという。

 容易に人に会えない時間が続いたことで、大切な人と共に過ごす時間や感動を大切にしようという考えが強まることは理解できる。

 結婚式や披露宴も時代とともに移り変わってきた。

 高度経済成長期の披露宴は派手であった。その象徴として、人気タレントの、何億円をもかけた豪華披露宴がテレビで中継されていた。新婦が何度も衣装を着替えたり、ケーキの高さが話題になったりするのを、私は冷めた目で眺めていた。

 バブルがはじけると“地味婚”が流行り、入籍だけで済ませる芸能人も増えた。

 大手ブライダル情報サイトのアンケートのデータで、いま結婚式を挙げるのは、結婚するカップルの約半数というデータがある。結婚式を挙げない理由の1位は、経済的なものだそうだ。挙式・披露宴にかかるお金は平均約300万円。バブル時代は500万円かける人も少なくなかったというから、景気と連動しているとはいえ、決して安い金額ではない。その上、人によってはやれ指輪だ、やれ新婚旅行だと出費がかさむ。

 そういう経済的事情も影響してか、現在、結婚式や披露宴の在り方は多様化している。海外で挙式をする人もいれば、写真だけ撮るフォトウエディングも広がったという。

 結婚式も披露宴も、当事者が気に入るかたちを選択すればよいと思うのだが、いまだにある種の「定型」がまかり通っているのが不思議だ。

 一つは、会社の上司や、学生時代などの友人、知人によるスピーチだ。歯の浮くような台詞が並び、面白くない。

 もう一つが、親への手紙や花束贈呈だ。ここぞとばかりにBGMが盛り上がり、司会者は声を張り上げ、新郎新婦のみならず参加者は涙ぐむ。演出めいていただけないし、何より、結婚が「家」と「家」の結びつきであることを示されるのが嫌だ。

写真はイメージ ©️AFLO

 親に感謝するなと言っているのではない。手紙を書いたなら内々で渡せばいいし、感謝の言葉は当事者同士で伝えればよい。人前で読み聞かせる必要があるのだろうか、と思うのだ。結婚は個人と個人の問題である。自分たちの結婚を人様に認めてもらう、しかも高い金銭を払ってまでそれをする必要性を感じない。