価値観の多様化が急激に進み、若年層の「家庭」についての意識が変わりつつあるが、かつては子どもを持つのが当たり前という価値観が一般的だった。そんななか、元NHKアナウンサーの下重暁子氏は子どもを持たない生き方を選んだ。いったいなぜなのか。
ここでは同氏の著書『結婚しても一人 自分の人生を生ききる』(光文社)の一部を抜粋し、その理由を紹介する。(全2回の2回目/前編を読む)
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「異次元の少子化対策」への疑問
「異次元の少子化対策」が次々に打ち出されている。この4月には「こども家庭庁」が発足した。政府は少子化対策に躍起になっているが、なかには、首をひねりたくなるような案もある。
たとえば学生時代に奨学金を借りていた人が子どもを産んだら、奨学金の返済を減免するというもの。「金」と引き換えに子どもを産ませるのか、と批判が相次いだ。
国がどのような対策を取ろうとも、子どもを持つかどうかは「個人の選択」である、という大前提がある。憲法に保障されている通り、自分が選んだ生き方に責任を持っていればよい。
にもかかわらず、少子化が進むいま、国を挙げて「産めよ、増やせよ」へ逆戻りしつつあるような気味悪さを感じる。
言うまでもなく、子どもを持ちたい人を支援する取り組みは必要である。不妊治療、保育園の充実、児童手当などの拡充、女性が働きやすい環境の整備など、政府がやるべきことは多い。
また、“イクメン”という言葉が広がるなど、男性の育児参加が増えているとはいうが、日本で家事労働などの無償労働を担っているのは圧倒的に女性だ(OECD調査、2020年)。男性の価値観や働き方が変わらない限り、女性の育児負担は減らず、子どもを持とうと考える女性も増えないだろう。
個人があって家族があり、個人が集まって国になる
一方で、国や世間が「圧力」をかけるような方向に再び進んだらどうなるだろうか。産めよ、増やせよと国が号令をかけた戦前・戦中の日本がしたことを思い出せばよい。
あるいは中国。共産党政権が成立後は、たくさん産むことが奨励され、避妊や中絶が禁止された。しかし人口が増えすぎると一転、厳しい「一人っ子政策」が敷かれるようになる。そして近年では少子化が進んだことで、一人っ子政策の緩和が打ち出されたが、国が望むような出生率の上昇にはつながっていないという。国の政策に翻弄される中国の人々は、はたして幸せなのだろうか。
日本にも女は子どもを産むもの、という刷り込みがいまだにある。そして、国のために女に子どもを産んでもらわないと、と考える人たちがいる。
子どもがいて一人前、子どもがいると幸せな家族になる、という人もいる。家族制度の悪しき残滓である。
個人の前に家族、個人の前に国があると発想するからこうした考えになる。
反対である。個人があって家族があり、個人が集まって国になる。まずは個々人が、自分の生き方に責任と自信を持つことが何より大切なのだ。
自分が選び取った人生を送っていればこそ、他人の人生を尊重することができる。
私は子どもを作らない選択をした。後悔したことは一度もない。