鴻巣友季子が『母親になって後悔してる』(オルナ・ドーナト 著/鹿田昌美 訳)新潮社

 子どもを産むか産まないか、いつ、何人産むか。現代では、産む本人の意思というのが最重要視されている。すでに四半世紀前には、「性と生殖に関する健康と権利(SRHR)」について、カイロ国際人口開発会議の場で合意がなされた。

 とはいえ、グローバルな会議で「認められた」からといって、それがローカルな共同体にどれだけの影響力を持ちうるだろうか。

『母親になって後悔してる』には、タイトルどおりの女性23人が登場する。イスラエルに暮らす保守層とおぼしきユダヤ人ばかりだ。

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 ほぼ全員が、母になった後悔と子どもへの愛情は別ものと断言しており、傍目に映る彼女たちは子どもを細やかにケアする責任感ある母親だろう。だが、本人たちは母になることで「不完全な人間に変貌した」と捉えており、子どもがいなくなってくれたらと夢想する者もいる。

 では、なぜ母になったかといえば、社会に帰属できると思ったから。それが普通だと思ったから。あるいは普通だと思っている周囲から強要されたからだ。「レイプ」や「奴隷化」という強い語を使う女性たちもいる。「女性が同意はするが、意志に反して子どもを産むことがある」という著者の指摘は重い。

「後悔」とはなんだろう? 決して振り返るなと諭す、旧約聖書のソドムとゴモラの挿話や、オルフェウスの神話も著者はひき、振り返ることは「改善や進歩の精神にそぐわない」と考えられていると説く。さらに、現代の新自由主義による資本主義社会においては、何事も前向きに成長の糧とすべきであり、後悔は一種の「脱線」とみなされると。

 直線的に進む時間のあり方を「クロノス時間」といい、寄せては返す波のように揺蕩う時間を「カイロス時間」という。進歩する近現代が良しとしてきたのは前者だが、後悔やネガティブな気持ちをも包容し、他者との関わりにゆとりを生むのは後者のような時間ではないか。

 現代の女性はつねに前向きな時間を生き、そのモラルを背負わされる一方、旧弊な性別分業、つまり家庭内ケア労働を無償で負担させる社会システムに閉じこめられてきた。

 本書の言う「後悔」とは少なからず、こうした理念的板挟みによる窒息状態のことではないか。人の世話をするのは女性の本質だとされ、それを嫌がることすら否定されてきたのだ。

 とはいえ、彼女たちの後悔はケアの重責と重労働にのみ由来するのではない、という点も本書では重要だ。夫のほうが子どもを引き取っている人も、子どもはすでに独立している人もいる。そう、負担を軽減すればいいわけではなく、選択権の問題なのだ。非母(ノンマザー)を非人間(ノンパーソン)のように見る風潮がその権利を阻害する。こうするうちにも、米国で中絶権を担保してきた憲法判断が最高裁で覆る見込みとの報道が入り、慄いている。

Orna Donath/イスラエルの社会学者・社会活動家。テルアビブ大学で人類学と社会学の修士号、社会学の博士号を取得。自身2冊目の本書は2016年にドイツで刊行され、ヨーロッパを中心に反響を巻き起こし、世界各国で翻訳された。
 

こうのすゆきこ/1963年、東京都生まれ。翻訳家、文芸評論家。訳書にミッチェル『風と共に去りぬ』、アトウッド『誓願』など。

母親になって後悔してる

オルナ・ドーナト ,鹿田 昌美

新潮社

2022年3月24日 発売