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結婚写真を撮るなら一人で

 私の母は、私に結婚式をしてほしかったと思う。しかし36歳になるまでの私の生き方を見てきたからか、見事にあきらめてくれた。つれあいの両親も何も言わなかった。

 そういうわけで私たちは結婚に際し、Tシャツ、ジーパンに突っかけ姿というラクな格好で、近所の神社に行っただけだ。

下重暁子氏 ©文藝春秋

 当時、住んでいた等々力には、等々力不動尊をはじめ、神社仏閣がたくさんあった。ご挨拶に、徒歩圏内をすべて回ろうということになって、つれあいと散歩がてら、5か所を回って手を合わせた。

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 いつもは10円しか入れないお賽銭を、その日は奮発して一人100円。5倍だから500円、二人で1000円。

 それから家に私の両親と、つれあいの両親を呼んで、6人でご飯を食べた。うちの母の手作りの五目ずしを食べ、ビールを飲んで終わり、以上。さりげなく、さっぱりと。これが私たちなりの、ささやかな区切りであり、儀式であった。

 せめて写真くらい撮らなかったんですか? と編集者に驚かれたが、写真を撮るような格好をしていなかった。

 結婚写真を尊ぶ気持ちが、実は私にはわからない。家に結婚式の写真を飾っている人を見ると、正直、ぎょっとする。私たちがその日、もし写真を撮っていたとしても、どこかに隠してしまって、その後見返すことはなかっただろう。

 綺麗な衣装を身にまとった綺麗な自分を保存しておきたいという意図で残す写真であれば、私一人を撮ってもらいたい。二人で撮られる必要があるだろうか。写真を見て、「昔はかわいかったな」「こんな経験をしたな」と振り返るのは楽しい時間だと思う。でもそれは、自分一人の写真を見てやればいい。

結婚してからいままで、我が家は独立採算性

 つれあいに指輪を買ってもらうなんてとんでもない。欲しいものは自分で買う。

 結婚してからいままで、我が家は独立採算性を貫いている。相手の収入も支出も知らず、知りたいとも思わない。

 と言っても想像はつく。長年テレビ局で働いてきて、その後、大学で教えるようになったつれあいには、年金もあるだろう。自由業の私のほうは、よく働けば多いし、そうでないときは減るという不安定な生活を続けてきたが、ここ数年はベストセラーにも恵まれ、何とか最後まで自分で自分を養うことはできそうである。

 共通の買い物や、共通にかかる費用は、できる限り平等に折半してきた。家、車、食費、光熱費などである。

 共働きでも生活費は男が払うのが男の甲斐性と心得ている殊勝な男性もいるようだ。女性の側も、女が働く時代になったにもかかわらず、デートでは男性に奢ってもらいたいと望む人が少なからずいるのだという。こうした価値観が根強いことが、日本でジェンダー平等がなかなか進まない一つの要因ではないだろうか。

 私は、生活費を払うと言われても、断る人間だ。男も女も同等に払うのは当たり前のこと。それでなければ、言いたいことが言えない。対等な関係でいられない。