「好きな人作ったなんていったら怒られちゃいますよ(笑)」
――患者さんはみんな兵隊さんなんですか?
土屋 みな下級兵士でしたね。「兵とは概ね貧家の次男三男にして、両親これを養うを得ず、海軍に委託教育するものなり」といわれていましたから、19、20歳くらいの若者です。私と同年代でした。
――同世代の人が集まる中で、外出中とか、若い兵隊さんに声をかけられたりとかはしませんでしたか?
土屋 そういうことはありませんでした。お互い厳しいですから。好きな人作ったなんていったら怒られちゃいますよ(笑)。
――若い軍医の先生とか、そういった一緒に働く人の中で憧れの方もいなかった?
土屋 あー、それはいましたよ。樹下(じゅげ)軍医中尉とかね。名前を覚えてるわ。でも怒られちゃうもの(笑) 、個人的にお話ししたりは……。
――では、本当に憧れているだけで……って感じなんですね。
土屋 写真は持っていますけどね(笑) 。どうしていただいたのかは思いだせませんけど。
〈こう笑った土屋さん。自著「過ぎた歳月」によると、開設直後のまだ余裕のあるころは、軍医学校の入校生と短歌のやりとりをしていたという。あるいは樹下軍医はそうした一人だったかもしれない。土屋さんはこれを機に文学に興味を持ち、戦後になって短大の文学部に入学している。
厳しい軍律の中で、若い男女ができるギリギリの交歓がこの短歌の交換だったのだろう。しかし、そうした若者たちの日常にも過酷な瞬間が迫っていた――。〉