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"万年助手"として77歳まで東大に居座る…やりたいことしかやらない牧野富太郎の究極の「ズボラ力」

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genre : ライフ, 歴史, 働き方, ライフスタイル, テレビ・ラジオ

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これらの蔵書は幸いなことに、牧野の没後に遺族から高知県に寄贈され、高知市の県立牧野植物園のなかに「牧野文庫」として保存、公開されている。いま牧野文庫を拝見させてもらうと、なかには「牧野様」と書かれた古本屋からの請求伝票が添付された本も散見できる。この本代を支払うのに、どんな苦労が隠されていたかを思うと胸が熱くなる。

「ズボラすぎて東大では追い出し運動が」と新聞に書かれる

一方で財産差し押さえをされるような経済的な苦況にありながら、他方では本を買うことに金を惜しまず、「吝財者は植学者たるを得ず」を実行できたのは、やはりスエコザサに象徴される家族の理解と協力があったればこそであろう。

ところが、昭和2年、牧野の札幌滞在中、札幌の新聞(『北海タイムス』昭和2年11月25日付)に驚くべき記事が掲載された(図表1)。

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「東大の牧野氏 追だしの陰謀 ズボラな性格が禍い問題は更に紛糾する」という見出しで、「(牧野は)植物学界に対して多くの貢をしているが、とかくズボラな氏の性格が禍いを為して、学校へ出ることは二カ月に一度くらい、学生や教授に迷惑を懸けることは一度や二度ならず……、理学部の数名の教授が秘かに氏を追い出さんと陰謀を巡らし……」と書かれている。

「東大をやめよう」と覚悟するがその後も12年間勤める

この記事を読んだ牧野は、自分でも思い当たる節もあり、そろそろ大学をやめなければならないと覚悟し、「長く通した我儘気儘最早や年貢の納め時」と負け惜しみの都々逸を口ずさんだ(『植物集説』下巻)という。

しかし結果的にはこの記事は誤報であり、牧野は東大を追い出されることもなく、その後、昭和14年、77歳のときまで講師を務めることになったのである。当時は定年制がなかった時代であるが、77歳まで現役でいられるというのは、「冷遇」ではなく「優遇」といえなくもない。それだけズボラといわれながらも「余人をもって代え難し」という能力が、牧野には認められていたからに違いない。