同じドラフトで日本ハム入りし、中日で同時に現役生活を終えた2人
今季の日本ハムは、2年連続の最下位に終わった。東京時代のチームは苦しい時期が長かった印象もあるが、ここまでの低迷は1974、75年以来、実に48年ぶりだという。東映、日拓、日本ハムと身売りを繰り返した直後の時期だ。張本勲や大杉勝男、大下剛史ら、チームの顔だった選手を放出していったのは、大谷翔平や中田翔、西川遥輝、近藤健介がいなくなったここ数年の状況と、どこか似ている。
そんな中、日本ハムでプロ入りし、他球団へ移籍した2人が今季限りで現役生活を終えた。大野奨太と谷元圭介。2008年秋のドラフトで日本ハムに指名された両選手は、同じ年に中日で現役から退く。10月3日の巨人戦が引退試合とされ、バッテリーを組んだ。試合後のセレモニーで、ともに中日だけでなく日本ハムへの感謝も述べる姿に、人柄が現れていたと思う。谷元が途中で「カンペ」を見て、なぜか「イヒヒ」と自ら吹き出す様子まで、配信映像でしっかり見せてもらった。
先立って行われた引退会見で、大野はかつてバッテリーを組んだダルビッシュ有や、大谷翔平からねぎらいのメッセージが届いたと明かしている。ダルビッシュは大野と同学年。大谷とは2016年、リーグ優勝を決めた西武戦で最後の瞬間コンビを組んでいたのが思い出される。ただ大野を語る上で、この2人からの話だけで終わっては片手落ちだろうと思った。私にとって、おそらく最後になる文春野球の登板。この人に登場してもらおう。
「引退するって連絡が来ましたよ。2人とも。ありがたいことに電話をいただきました」
予想通りだ。こう話してくれたのは、日本ハムOBの武田勝。引退を決めた彼らは、どんな様子だったのだろう。
「(大野)奨太はやり切った感じがありましたよ。中日に行ってからは2軍生活の方が長かったけれど、その分違った世界も見られたんじゃないですかね」。日本ハム時代の大野は、2軍落ちが“事件”だった。優勝した2012年の夏、栗山監督が大野の登録抹消を決断した時には思い切ったなと感じた記憶がある。そんなエリート選手が、中日に移籍してからは2軍での時間が増えた。数々の名選手が、現役終盤は若手の活躍を前に葛藤する姿を見てきたが、きっと大野もそうだったのではないか。
言葉はいらないバッテリー「失投したときは返球が怒っているのがわかる」
武田勝と大野は、2010年くらいからバッテリーを組む機会が増えた。共にお立ち台に上がったことも一度や二度ではなく、名コンビとして定着していった。武田勝が「最高の捕手です」と言わされ、スタンドに笑いが起きたこともあったはずだ。では勝さん、あなたにとって大野はどんな捕手でしたか?
「ツル(鶴岡慎也)は若い子を引っ張る捕手。逆に奨太はベテランを引っ張るイメージだったんじゃないのかな。年上にもモノを言えるタイプだし、(当時の監督)梨田さんはそこを分かって使い分けていたんじゃないですかね」
「まあ……。強気なキャッチャーということになるんでしょうね。そこに投げれば抑えられるリードというか。その分、失投した時は返球が怒っているのが分かったからね。めちゃくちゃ速い球が返ってくるの。会話がなくても意思表示してくれる」と笑う。
さらに続けた。「引っ張られて、僕の投手生命も延ばしてくれたんじゃないですかね」。どういうことだろうか。
武田勝の球種は主に3種類。130キロがやっとの直球とスライダー、チェンジアップだ。時には打者を煽るかのようなボールで近めを意識させないと、簡単に捕まってしまう。「調子が良かろうが、悪かろうが、怖くてもインコースを突いていくのが基本だと解らせてくれましたね。だから投球が一辺倒にはならない。ツルは投手の良いところを引き出すリード。奨太はインに投げないと抑えられないという意図が見えるリード。だから強気に見えるんじゃないですかね」。
大野と武田勝は、札幌ドームでのロッカーが隣で、大野が師と慕う中嶋聡(現オリックス監督)も交えての反省会が常だった。一方で、若手投手からはサインを出す大野の姿が「怖い」と言う声も聞いたことがある。それこそ同期入団の谷元も、最初はそんなことを言っていたはずだ。
「確かに、僕は年上だから気にならなかったけど、年下の投手だとリードと戦ってしまうことはあったかもね。ただ、そんなところで苦しんでいるようではプロじゃない。そこまでで終わってしまうのも確かなんだよ」