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ジャニーズ性加害問題、2度目の会見で「大きな悪より小さな不快が許せない国民性が爆発」したのはなぜか?

2023/10/11

genre : エンタメ, 芸能

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ジャニーズに興味がない人たちも無意識で感じてしまう“責任”

 こうした会見のコンテンツ化、茶番化が何をもたらすのか。会見はどんどんジャニーズのPRの場となり、「被害者への救済」「喜多川氏との決別」「メディアへの圧力の徹底解明」という本来の目的から離れていくのは間違いない。ジャニーズ事務所は、視聴者が「性加害問題」という途方もなく大きい「悪」よりも、「いい人であるイノッチ」が「ルール違反の記者を諌める」という刹那的な「快」に飛びつくことを知っているのでしょう。そして健やかに生きる権利を奪われた人たちが、それを取り戻すためにあげた声を「不快」とする向きがあることも。ふざけんなし。

 私には、指名されずに不平を訴える東京新聞の女性記者よりも、会見途中に指名されたライターさんの「30年来のジャニヲタですが」という所信表明のほうが全く不可思議でなりませんでした。しかしそのライターさんが言っていた「ジャニヲタが加害者のように言われることに憤慨している」という趣旨の発言に少しハッとしたのです。ジャニーズに興味がない人たちも、もしかしたらみんなそうなのかもしれない。何年も何年もこの国民的都市伝説を共有し、放置していた自分自身の責任を無意識で感じている。そんな罪悪感から逃れるために、知れば知るほど辛くしんどいこの問題の徹底糾明ではなく、キリッとしたヒガシが、優しいイノッチが、バディとなり悪と戦うという「ドラマ」をそこに見出してしまう。「善悪」よりも「快・不快」に流されてしまう。それはジャニーズ事務所が長年に渡りお茶の間に散布してきた麻薬のようなものかもしれません。

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「冷静に話し合いしていきましょう」という言葉の「他人事」感

 私はあのツイートで「国民性」と表現しましたが、「自分も加害側にいたのでは」と自問自答する真面目さもまた「国民性」なのだと思います。でもその真面目さ故に性加害問題に口を閉ざしたり、問題解明の目眩しになるような「ドラマ」や「茶番」に足を引っ張られて、得をするのは一体誰でしょう。何百人という子どもたちが「夢」と引き換えに体も心もズタズタにされた、このたった一つの揺るがない事実からは誰も目を背けることはできないと思います。

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 そして2度目の会見中、ざわつく記者たちに井ノ原副社長が言った「冷静に話し合いしていきましょう」という言葉。あの言葉にジャニーズ側の意図が全て集約されているように感じました。会見は話し合いではないのです。自分たちはメディアに全てを明かさなければならない側、あそこはメディアとうまいことやっていく場ではないのです。ああやっぱり、「他人事」なんだなと思いました。役柄というのはいつだって「他人事」であるからこそ没入できる。いい役者さんであればあるほどそう思います。彼らから「他人事」が抜けない以上、企業としての責任は果たせないのではないでしょうか。

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