こういった身体反応は性暴力被害の最中でも起きることがあります。反応してしまったという罪悪感や恥辱感については、そのような感覚を起こさせている加害者に責任を帰する必要があります。私たちは、殴られたときに感じる痛みについて、痛みを感じた自分の責任だと思うことはないと思います。他人が自分を殴ったから痛いのであって、勝手に痛みを感じているのではありません。
同じように、性的快感も、暴力の手段として使われたとき、加害者が自分の性器に刺激を与えたから感じているのであって、それを望んでいたわけでも、喜んでいるわけでもありません。
加害者は加害行為の責任を被害者にも負わせようとする
快感の場合、本来喜ばしい感覚であるはずですから、性暴力被害の最中にその感覚が起きることは、非常に矛盾したものです。この矛盾を作り出すことで、加害者はその加害行為の責任の一端を被害者に押し付けようとしているのです。また、そのような感覚を引き起こすことで、被害者の身体の自由を奪うことに加えて、感覚をも支配しようとしていると言えます。
性別にかかわらず性的快感が被害の最中に起きることはありますが、ペニスを持っている人にとっては、それが別の意味を帯びてきます。それは、性的快感を抱いていることが他人から分かりやすいという点と、ペニスが持つ性的能動性という点の二つにあります。ここに、男性の性暴力被害の特殊性が表れてきます。
ペニスが持つ性的能動性ゆえ「本人が望んだ」と思われる
男性外性器は、刺激を受けると勃起や射精が起きます。これは他者から見ても分かりやすい変化のため、そのときに性的快感を抱いていることが簡単に他人にも伝わってしまいます。よく性教育の本では、勃起を起こす理由として性的な刺激が与えられると……と書かれていることが多いため、勃起をしたということに、本人の意思が介在しているように思われるかもしれません。
確かに、エロティックな視覚情報や想像も性的刺激として勃起を引き起こしますが、そのような本人の意識的な関与がなくても、陰茎の触覚が刺激され、それが適度な感覚刺激であるならば、反射的に勃起を引き起こすことがあります。