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笠置シヅ子の養母は赤の他人の子に乳をあげ大阪に引き取った…「ブギの女王」を育てた母の並外れた"義侠心"

source : 提携メディア

genre : エンタメ, 芸能, 音楽, テレビ・ラジオ

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7歳くらいだったか笠置には、父の位牌が飾られた「白塀さん」の仏壇の前で、お得意の「宵や町」を踊り、参会者に拍手された記憶が残っている。老いた祖父の目には、涙がにじんでいるように笠置には見えた。

ある日、笠置は養母がひた隠しにしていた出生の秘密を知ることになる。

笠置は自伝にこう書く。

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「私はお蔭で大阪の松竹歌劇に入るまで、なんの疑惑も懊悩(おうのう)もなく、ただやさしい養母に甘えるだけ甘えて平和に過ごしてきましたが、18歳の秋に、とうとう私の秘密を知ってしまいました。多感な娘ごころに、これは大きな衝動でした」

香川で貧しい暮らしをする実母との一度きりの対面

笠置に実母がいたことが、なぜ彼女に知られることになったのだろうか。

笠置が18歳の夏のこと。松竹少女歌劇の団員だった彼女は、気管を悪くして休団していた。そこで養母は、笠置と8歳下の弟の八郎を連れて、郷里からさほど遠くない白鳥という白砂青松(はくしゃせいしょう)の海辺に避暑をかねて出かけたのである。

そんな折に、うめは兄の中島から「今年は白塀さんの息子の十七回忌だから唯一血のつながっている娘の静子を連れて出席するよう、白塀さんから強く頼まれている」と強要されたのである。

うめは抵抗したがかなわず、娘だけ法事に出席させて、大阪に残した夫からの矢の催促で八郎と共に帰阪した。

その結果、笠置は法事の席で、事情を知る年寄りが自分に向かって話す無神経な言葉で、「白塀さん」の家とは血のつながりがある、という疑念を抱くに至った。

中島の家にもどった笠置は、叔母を問い詰めて実母の存在を知ることとなった。

養子に出された人が実の親を追い求める強い気持ち

実父母を求めるこの気持ちは、他人にはうかがい知れないものがある。笠置は自伝で、その苦悩と逡巡(しゅんじゅん)を率直に書いている。笠置の舞台上での底抜けの明るさは、この闇の深さとも関係あるに違いない。

笠置に強談判(こわだんぱん)されて、叔母が打ち明けた結果、彼女の心は晴れたのだろうか。決してそうではなかった。その複雑な胸中を自伝において、こう吐露(とろ)している。

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