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“軟禁”に近いフィリピンでの生活実態

 その後、藤田は1週間ほどマニラ市内のビジネスホテルに滞在する。だが、その生活実態は“軟禁”に近いものだった。「むやみやたらに外出しないこと」と命じられ、ホテル近くのコンビニに外出した瞬間、「ホテルから出るなと言っただろ」と強い口調で詰問された。

 間もなく藤田はカジノホテルに“移送”され、居並ぶ幹部6、7人から冊子を手渡される。そこに記されていたのは、詐欺マニュアル。19年当時、詐欺グループのメンバーの役割は「1線」「2線」「3線」という3つの段階に分けられていた。

「『1線』は(ターゲットの住所などが記載された)リストにある被害者に対して、一軒一軒電話をしていって、キャッシュカードや残高状況を確認する電話をする役目。『2線』は財務局などに代わって、キャッシュカードを受け取るという話をして、暗証番号などを聞き出す役割。『3線』というのは、日本にいる指示を受ける役に連絡をする役割でした」(藤田の法廷証言)

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強盗グループが襲撃した狛江市の現場 ©時事通信社

「過去に逃げたやつが殺されたこともあるよ」

 メンバーの報酬は、詐欺で騙し取った金の5%。渡辺は「1線から3線まで全部できなくちゃ駄目だ」と発破をかけた。その日を境に藤田は3つの役割をこなす日々を送るようになる。幹部の1人は藤田に対し、こう凄んだ。

「過去に逃げた奴が殺されたこともあるよ。この前、大使館前で捕まった奴は事務所まで戻され、手錠をしながら仕事をさせられている」

 仕事場として用意されたのは、廃業したホテル6階の大部屋。気を抜くと「仕事しろ!」という声が轟く。あるときは、藤田聖也容疑者(39)から拳銃を突きつけられ、“脱退者”が耳を切り落されるシーンが収められた動画を見せられた。藤田の網膜には、脅迫の数々が灼き付いている。