ミイラ男のような醜い姿だった
本作を見た人は「目玉おやじがこんなにイケメンだったなんて……!」と思うかもしれないが、水木しげるが彼をスマートな容貌に描いたことはなく、不治の病を患いミイラ男のようになった醜い姿で登場させるのみだった。
水木も、ゲゲ郎も、『鬼太郎誕生』では、明らかに原作より“かっこいいキャラクター”としてリブランディングされている。そしてふたりの見事なバディっぷりこそが、本作を人気作品に押し上げている。実際、『鬼太郎誕生』のファンアートはSNSを中心に大変盛り上がっているが、その軸となるのは、水木とゲゲ郎のバディである。
では、なぜ『鬼太郎誕生』は、ふたりのキャラクターを大胆に脚色したのだろう? こうした問いを投げかけると「そりゃ興行収入のためにふたりをわざとイケメンに描いたんでしょう?」と言われるかもしれない。
しかし私は、ここにそれ以上の意図を感じた。この設定に込められたものは、日本のエンターテインメント業界において脈々と受け継がれる物語の系譜を踏襲した結果ではないか、と思うからだ。
設定は『八つ墓村』をオマージュ
まず私は、『鬼太郎誕生』を見て、横溝正史の小説『八つ墓村』を思い出した。
本作は『八つ墓村』へのオマージュに満ちた作品になっている。『八つ墓村』は、戦国時代から続く呪いがまことしやかに囁かれる「八つ墓村」を舞台にした物語。そこにふらりと現れた探偵役・金田一耕助と、村に縁のある戦争帰りの男性・寺田辰弥がバディを組み、村の殺人事件の謎を解くーー。『八つ墓村』を知らない人であれば、この設定を読むだけで「なるほど、『鬼太郎誕生』の設定は『八つ墓村』をなぞっていたのか!」と膝を打つのではないだろうか。
“謎を解決するバディ”を踏襲
あるいは、テレビドラマの『トリック』シリーズ(テレビ朝日)を思い出した人も多いのではないだろうか。
『トリック』は2000年に第1シリーズ、2002年に第2シリーズが放送され、映画化も果たした人気テレビドラマシリーズである。仲間由紀恵演じる自称売れっ子マジシャン・山田奈緒子と、阿部寛演じる天才物理学教授・上田次郎がバディを組み、ふたりが超常現象のトリックを解いていく、というあらすじだ。
本作のなかには「六つ墓村」という村に伝わる呪いの謎を解いてほしいという依頼を受けるエピソードや(いうまでもないことだが『八つ墓村』のオマージュだ)、全体として横溝正史作品へのオマージュに満ちている。
『トリック』は超常現象をふたりが解く物語でありながら、その裏側には横溝正史作品と同様に、閉鎖的な日本のムラ社会のあり方がしばしば影響を与えている。