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 1993年にはついに、デビュー以来毎年続いていたドラマ出演が途切れる。その年末、雑誌に寄せたエッセイでは、それまでの不満をぶつけるかのように、《演じることなんて大きらい。他人を演じて何が楽しいものかと思う。身を切り裂くようなスケジュールのなかで、精神まで奪われて。(中略)自分のために自分自身として生きているほうがよっぽど大切……》とつづった(『月刊カドカワ』1994年1月号)。

 それからまもなくして転機が訪れる。岩井俊二監督の初の劇場長編映画『Love Letter』(1995年)への出演だ。それまでずっと「地味でいいから手応えのあるものをやりたい」と思っていた彼女にとって、同作は《大作という看板も背負ってなくて》(『月刊カドカワ』1997年1月号)、まさに待望していたものであった。劇中、まったくの他人ながら風貌がそっくりな二人の女性を一人二役で演じた中山は、ブルーリボン主演女優賞を受賞するなどその演技が高く評価される。

『Love Letter』(1995年)

『Love Letter』での達成感は大きく、以来、中山はローテーションで回っていた仕事をセーブするようになる。1997年には、写真家の荒木経惟と陽子夫人をモデルとした映画『東京日和』で、監督を務めた竹中直人と夫婦役を演じた。竹中からは「何も考えなくていいよ。そのまま、スクリーンの中にいてくれればいいよ」と言われ、出演を決めたという(『キネマ旬報』1997年11月上旬号)。これら作品への出演を通じて、彼女は創作に参加する歓びに目覚めていった。

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結婚、パリに移住

 私生活では2002年、作家でミュージシャンの辻仁成と結婚する。その後、生まれてくる子供には親が芸能人であることなど意識せず、伸び伸びと育ってほしいとの思いから日本を離れ、パリに移住した。長男を出産したのは2004年であった。それからは、辻とともに子育てに専念する。

 しかし、子供を儲けて10年後、離婚する。このとき、日本のマスコミから「親権を放棄して子供を捨てた」と書き立てられ、中山は傷ついた。実情は異なり、もともと彼女は、フランスの法律では離婚すると親権は半分になるので、そちらを選ぶつもりでいたが、結局、日本の法律において離婚したため、親権はどちらか一方が持たざるをえず、最終的に辻に譲ったのだ。彼女は雑誌での連載エッセイでそう釈明したうえで、《法律上では子どもに対する権利を失ってしまいましたが、息子との関係の中で親であることは永遠に変わらないと言い聞かせて親権を譲ることにしました。そして、それが離婚を承諾してもらうための条件でした》と明かした(『美ST』2014年10月号)。

映画『サヨナライツカ』(2010年)は、辻仁成の小説が原作

離婚後に「毎日胸が痛みます」

 幼い頃、母親と離れて暮らしていた時期も長かっただけに、親権を譲るのは苦渋の決断であっただろう。前出の連載ではその後の回でも、《いちばんに願うのは息子の幸せです。寂しい思いをさせてしまったことは、毎日胸が痛みます。これから思春期に入っていく彼の微妙な変化も何もかも、すべて受け止めて支えてあげられたら》などとつづり、《今までと同じようにいかなくても、同じではいけないと感じても、挑戦することを諦めないでほしい。自分を大切にすることも未来を生きるために大切なこと。小さなことからでいいから、一つ一つクリアにして、やりたいことを心から楽しむ! 迷いがあっても、何かできることはきっとあると思うんです。あなたはあなたしかいない、と私自身にも言い聞かせながら》と結んでいる(『美ST』2015年6月号)。