1987年に出演した『ママはアイドル!』では、結婚して相手の連れ子たちと暮らすようになるというアイドルを、役名もそのまま「中山美穂」で演じた。しかし、本人は内容と自分とのギャップに悩みあぐねる。「ミポリン」というニックネームもこのドラマから生まれたが、その後もそう呼ばれることになろうとは当時は思ってもいなかったし、思っていればとても耐えられなかっただろうという。
それでも、同作で演出を務めた吉田秋生は、中山が悩む姿に女優としての感性を見出していたようだ。吉田いわく《今、自分でやっていることに“これでいいんだろうか?”そう思ってないと人は大きくなれない。そういう意味では彼女は常に、違うんじゃないか…違うんじゃないか…違うんじゃないか…って、イヤになるくらい考えていた子だった。弱冠十六歳ですでに。いつも自分に、世界に、疑問を持っていた。そういう悩みを持つ人間というのは演者としてとても魅力的に思えます》(『月刊カドカワ』1997年1月号)。
アイドル時代の葛藤
アイドル時代の彼女は、周囲のスタッフと話しても、なかなか本心が伝わらないことにも葛藤を抱いていた。《でも、そのうちに、しゃべる代わりに書いて伝えるということを覚えて、書くことに楽しさを感じるようになりました》という(『anan』2016年3月23日号)。デビュー以来ずっと仕事をしていたレコーディング・ディレクターに手紙を書いて渡したのもこのころで、そこから徐々にコミュニケーションがとれるようになっていった。
17歳だった1988年2月リリースの6thアルバム『CATCH THE NITE』では、好きだったミュージシャンの角松敏生をプロデューサーに迎えた。このときも、事前に自分のことを知ってもらうため、中山から望んで角松と二人きりで話をしている。当人はのちに《今考えると、話し合いにはなってなかったかもしれないなあ(笑)》と顧みたが(『月刊カドカワ』1993年11月号)、角松は、彼女が《物静かに訥々と「こういう音楽をやりたいんです」と話していたことを覚えています》という(『週刊現代』前掲号)。
レコーディングで角松は、彼女が上手く歌えずに、何度もやり直しをさせて泣かせてしまったこともあったらしい。しかし彼女は、自分の力量以上のものでも頑張ろうという意識が強く、泣いてもけっして途中で帰ったりはしなかった。
20代に入るとますますアーティスト志向が強まる。22歳となった1992年には初のセルフプロデュースによるアルバム『Mellow』をリリースした。WANDSとコラボレーションしたシングル「世界中の誰よりきっと」が180万枚を売る大ヒットとなったのも、この年である。
「演じることなんて大きらい」
一方、俳優としては、1989年の『君の瞳に恋してる!』を皮切りにフジテレビ系の月9ドラマの主演を何度も務め、高視聴率をマークしてきた。だが、じつのところ中山は、主役より脇役志向が強かった。映画にしても、長年彼女を支えてきたマネージャーいわく《300館のロードショーではなく単館上映の映画をやりたが》っていた(『AERA』2010年1月18日号)。