陸自の日報を隠蔽したのは「なぜ」だったか
続いて防衛省・自衛隊では、イラク派遣日報の長期隠蔽に先立ち、南スーダンPKO(国連平和維持活動)日報の隠蔽が問題化している。最終的には防衛省・自衛隊の幹部多数が処分され、当時の稲田朋美・防衛相が事実上更迭される一大スキャンダルに発展したが、この日報を隠蔽したのは「なぜ」だったか。
これも隠蔽された日報を眺めれば理由は浮かぶ。そこに「戦闘」といった文字が刻まれていたから。現地・南スーダンで実際に「戦闘」が生起していれば、「戦地」派遣を禁じるPKO協力法ばかりか、憲法との整合性まで問われかねない。しかも当時はPKO派遣の延長問題が国会で審議されており、安保法制で政権批判を強める野党を勢いづけてしまうのは必定。だから「存在しない」と強弁して隠蔽した。
その延長線上に、おそらくはイラク派遣日報の長期隠蔽もあった。2011年からの南スーダン派遣日報が「存在しない」のに、10年以上も前のイラク派遣日報の存在を認めれば、明らかな矛盾が生じてしまう。だからイラク日報も隠蔽せざるを得なかった。
事務次官まで務めた人物が公然と反旗を
こればかりではない。厚生労働省では先ごろ、「働き方改革」と称した関連法案をめぐり、根拠のひとつとなるデータの幼稚なほどの杜撰さが判明、政権は法案の一部削除に追い込まれた。これも裁量労働制の拡大を目指す政権の意向に合わせるためだったのは疑いない。
また、加計学園問題をめぐって文部科学省で起きた事態は、あらためて詳述する要はないだろう。自他ともに認める首相の「腹心の友」は、政治力などを駆使し、約半世紀も認められていなかった獣医学部の新設を目論んだ。その背後には「総理のご意向」を笠に着た圧力があったとする文科省の内部文書が明るみに出され、一大政治問題と化したが、官邸はこれを「怪文書」扱いして知らぬ顔を決め込んだ。
加計学園問題で特異だったのは、文科省の事務次官まで務めた人物が公然と反旗をひるがえした点であろう。前文科事務次官の前川喜平氏は実名でメディア取材や記者会見に応じ、官邸側の無茶な意向によって「公正公平であるべき行政がゆがめられた」と告発したが、これについても官邸は「次官の地位に恋々としていた」などと前川氏に個人攻撃を加えた。また、おそらくは官邸発の情報だったのだろう、前川氏を貶める「出会い系バー通い」などという記事が政権寄りのメディアで大々的に報じられる始末だった。