杭州アジア大会の主将として
坪田 どうしても今回、柳田選手に聞いてみたかったことがあるんです。昨年の杭州アジア大会で、日本代表Bチームのキャプテンとして、多くの年下の選手を従える役割になってきたのかと、勝手に想像していました。そういう役割の変化によって、試合中のメンタルも変わってくるんですか。
柳田 いや、僕はあんまり……B代表のキャプテンをやらせてもらった時には、そういったことも言われて、一緒に活動をしたんですけど、僕は「年上だから」「年下だから」というのは、あんまり好きじゃなくて。同じステージで、プロとしてバレーボールをしている以上、年齢の基準は関係ないし、必要ないと思っています。それは日の丸をつけていても、自分のチームの東京グレートベアーズでも同じです。
年齢で優劣をつけるのではなく、ひとりの選手同士として対峙するのが、僕の好きなというか、理想とするチームの雰囲気。たとえば僕が言ったことに、年下の選手がすべてイエスで、右ならえ右じゃなく、みんなが能動的で、僕と意見が違えばきちんと言ってくれれば、そこで議論が生まれて、問題が解消して、チームの質も高まります。
坪田 つまりそれでチームが強くなっていくわけですね。
年齢は言い訳にできないぞ、って…
柳田 そうです、そうです。20歳でも、19歳でもいいんです。僕は31歳になりましたが、そこは平等に話し合って、もし間違っていれば正せばいいし、そこはキャリアで何とかなると思っています。上から頭ごなしに言ってしまうと、下の子たちは考えることを止めてしまうので、シチュエーションによっては、話し合いの場を設けることもありますけど、それは人生ちょっとだけ長く生きているだけで、先輩としてやらなければ駄目なこともあります。
単純に僕自身、先輩後輩の上下関係が好きではないので、僕も同じ歳みたいに接するし、年下の選手が年齢を取っ払ってくるのは、まったく気にしません。その代わりみんな同じ、同じ土俵に立っているんだからな、年齢は言い訳にできないぞ、って……そんなプレッシャーはかけないですけど(笑)、そういう勝負の世界に早く入ってほしいという気持ちできました。
坪田 そういう考え方なんですね。さらにこの先、ご自身について考えていらっしゃることはありますか。
柳田 選手はいつか引退が来ます。でも選手人生を終えたとしても、何かバレーボールには関わっていたいですね。たとえば、リーグ改革とか、クラブ経営とか、まだ分からないですけど、そういうものにも興味があって、いろんな記事を読んだり、もちろん自分でも勉強しています。最近、なぜか『孫子の兵法』を読み始めて――経営者の人たちが読んでいるというのを聞いて、これも何か将来に役立つんじゃないかと(笑)。
そんなに集中して読めないので、『孫子の兵法』もまだ途中なんですが、『八秒で跳べ』の続きが、坪田さんと話していてさらに気になりました。きょう帰ったら、それをまず優先して読みます!
坪田 ありがとうございます。
(2024年3月21日)
柳田将洋(やなぎだ・まさひろ)
1992年、東京生まれ。東洋高校2年時に主将として春高バレー優勝。慶應義塾大学在学時に全日本メンバーに登録。15年、サントリーサンバーズ入団、17年、プロ選手としてドイツ移籍。18年から20年まで男子日本代表主将を務める。23年、杭州アジア大会でもB代表主将として銅メダル、東京グレートベアーズに入団。
坪田侑也(つぼた・ゆうや)
2002年、東京生まれ。2018年、15歳の時に書いた『探偵はぼっちじゃない』で、第21回ボイルドエッグズ新人賞を当時史上最年少で受賞、翌年KADOKAWAより出版された。中学、高校時代はバレー部に所属。24年、高校のバレー部を舞台にした青春部活小説『八秒で跳べ』を上梓。現在、慶應義塾大学医学部に通う。
写真=榎本麻美
ヘアメイク=k.e.y小池康友
協力=東京グレートベアーズ