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コンゴの川では“殺人蜂の大群”が襲ってきて……川下り界のレジェンドと「間違う力」の作家が組んだ奇跡の探検紀行

コンゴの川では“殺人蜂の大群”が襲ってきて……川下り界のレジェンドと「間違う力」の作家が組んだ奇跡の探検紀行

高野秀行✕山田高司

source : ライフスタイル出版

genre : ライフ, 社会, 読書, , ライフスタイル

note

山田 当時の農大探検部は海外遠征に必ずいくのが普通でしたからね。その経験を活かしてJICAとか国際協力で現地で農業指導をできるような人材を育てるという流れがあった。俺は20期生なんだけど、ちょうど探検部の20周年記念にでかいことをやろうと、先輩の発案で、南米の三大河川であるオリノコ川、アマゾン川、ラプラタ川を舟でめぐったんです。当時はパンタナール湿原という、イラクの湿地帯アフワールよりでかい湿原もあった。

 でも南米の川を縦断して先輩の計画内でゴールするのは嫌だったから、アンデスの6000メートル級の山を10登る、世界一周の川旅をするという計画を立てたのが81年のこと。

高野 すごいですね。山も完遂されたんですか?

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イラクの巨大湿地帯アフワール ©高野秀行

山田 10のうち3つね(笑)。目標設定を最初から小さくすると面白くないし、10設定すると3割いける。最初から3割目指したら1割しか打てないものだから。

 で、大学7年生のとき26歳でいよいよ自分の計画を実行して、世界中の川を巡る旅に出たんだけど、当時、中国の長江やソ連のオビ川、エニセイ川、アムール川は、川下りの許可のハードルが高く、入国自体厳しかったし、ほとんど誰も挑戦できていなかった。

「俺はアフリカからヨーロッパへ行く。ソ連も俺がなんとか制覇するから、中国はお前らでやれよ」なんて後輩に伝えて、足かけ5年アフリカとヨーロッパの川をめぐったわけです。

殺人蜂の大群に襲われて死にかけた体験

高野 その頃、コンゴの川で一度死にかけたんでしょう?

山田 そう、相棒と一緒にカヌーでコンゴ川を下っていたとき、突然殺人蜂の大群に襲われたことがあって。でかい木にスイカ大の巣が見えた瞬間に、その巣からもう漫画みたいに蜂がブワっと湧き上がって、あっという間に囲まれた。後輩に「水に飛び込め!」って叫んで俺も飛び込んだけど、とっくにすごい量を蜂に刺されていて、もう必死でカヌーを岸に寄せて、陸に這い上がった瞬間、上からも下からも吐いてそのまま気を失った。

 24時間後に気が付いたんだけど、顔が倍ぐらいに腫れあがって、まるで大福餅の化け物。俺の相方は、もう山田は死んだと思ったみたい。

高野 近くに村とかなかったんですか?

山田 あるにはあったんだけど、地元の人も恐れる殺人蜂で、歯茎を刺されたら一発で死ぬとみんな怖がってましたよ。相方はいいやつでね、彼も同じくらい刺されたはずなのに「痛いな」くらいでわりと平気で、俺がもらしたパンツを綺麗にあらって、全身刺されていた針も全部抜いて看病してくれていました。

高野 本当に壮絶な体験ですね……。川下りをしていた5年間は一度も日本に帰らず? 

山田 そう、各地で稼ぎながら旅していたから。帰国したのも、中国はお前らでやれって託した後輩が中国科学院と粘り強く交渉して「ついに長江の許可取れたんで帰ってきてください。一緒に行きましょう」というから。羊飼いをしながらニュージーランドで激流下りの訓練していたその後輩のおかげで、長江の川下りが実現しました。

怪獣ムベンベ探しのおかげで山田隊長と出会い……

高野 いい話ですね。僕が隊長に出会ったのは、その少しあとの1991年です。隊長が「緑のサヘル」という環境NGO団体の現場責任者をしていた頃で、チャドで植林活動を始めるにあたって公式の申請書が必要で「だれかフランス語の出来る奴を連れてきてよ」と友人づてに紹介されたのが最初でしたね。

 僕はその前に、フランス語が公用語のコンゴに謎の怪獣ムベンベを探しに行っていたから、政府への許可申請みたいな書類を書くのに慣れていた。

撮影・小林渡(AISA)

山田 あの頃「高野、暇か?」って電話するといつも暇で、晩飯と酒をつければすぐフランス語に訳してくれたよね。