カイロ大学声明の作成者が名乗り出た
カイロ大学声明の効果は絶大で、疑惑を追及する声は一気に沈静化した。そして小池氏は圧倒的な得票数で再選を果たした。
だがその後、小島氏は疑念を抱くようになる。本当に卒業しているのなら、なぜあんなに憔悴していたのか。もしかしたら、本当は大学を卒業していないのではないか。だとしたら、自分は疑惑の“隠蔽工作”に手を貸してしまったのではないか。
しばらくして、小島氏は小池氏のブレーンだった元ジャーナリストのA氏から「実は駐日エジプト大使館のフェイスブックに上げられたカイロ大学声明は、文案を小池さんに頼まれ、私が書いたんです」と打ち明けられた。
カイロ大学声明は、小池氏がA氏に依頼して作ったものだったのだ。
小池氏は、当時秘書のように使っていた樋口高顕都議(現・千代田区長)に指示を出しつつ、文面を作成していった。さらに、駐日エジプト大使館のサイトに声明文を掲載することをアドバイスしたのもA氏だった。手記ではその過程をA氏の証言や、小池氏と樋口氏からのメールなどで詳細に描いている。
声明がフェイスブックに掲載される前日、小池氏からA氏にメールで連絡があったという。
〈8日の午後8時34分、彼女からA氏に画像が送られてきました。翌日、大使館のフェイスブックに掲載される英文のカイロ大学声明文の画像でした。
そして午後9時20分、再び小池さんからA氏に、次のメールが送られてきます。
「明日の4時から、郷原と黒木亮が外国記者クラブで記者会見とのこと。その前に全部済ませます」
この「全部済ませます」という小池さんの言葉。ここから声明文作成と発出の真の主役が誰であったのかがわかります。小池さんの、これですべてを封じるという強い意思の表れでしょう。
6月9日の午後2時9分、大使館のフェイスブックに声明文がアップされると、樋口さんからA氏に「出た」旨が伝えられました〉
再選後、A氏が小池氏に会った際にはこうお礼を言われたという。
〈開口一番、「エジプト大使館のフェイスブックに載っけるというのは、私、思いつかなかったわ!」と、上機嫌で言われたそうです〉
文藝春秋編集部は小池氏に「声明文作成に関与したのか」など、事実関係を確認する質問状を送った。すると小池氏は「回答する義務はなく、回答する必要性も存在しないと考えている」と、代理人弁護士を通じて答えた。
樋口氏には千代田区報道課や樋口氏のHPへ質問状を送ったが、締め切りまでに回答は無かった。
4月12日の午後2時からは、都庁で定例の記者会見が開かれる。ここで小池氏は手記について何と答えるのか。対応が注目される。
『文藝春秋』5月号(発売中)及び「文藝春秋 電子版」(4月9日公開)には、小島氏の手記「小池百合子都知事 元側近の爆弾告発」が全16ページにわたり掲載されている。