いつ鳴るか分からないゴングを待ち続けるボクサーと同じ
そして2024年1月1日、実際に津波が来襲する。
正月休みで観光客がいなかったのが、不幸中の幸いだった。
川端さんは、災害から生き延びるための取り組みを「いつ鳴るか分からないゴングを延々と待ち続けるボクサーと同じ」と言い表す。
「普段から準備して、十分なシミュレーションをします。いざとなって、考えていたら間に合いません。発生したら、シミュレーションしてきた通りに動けるかどうかに集中するのです。ただ、『その瞬間』がいつ来るか分かりません。必ず来るけれども、いつかは分からないのです。だから、いつゴングが鳴るか分からないボクサー。ゴングが鳴った瞬間から生きるか死ぬかの闘いが始まるのです」
「津波は計5~6回押し寄せるのが見えました」
あの日、川端さんは自宅で作業をしていた。既に父も亡くなり、広い敷地に独りで住んでいた。
「群発地震で大きな揺れがある時には、地鳴りというか振動というか、何かが迫ってくるのが分かります。そしてダンと突かれるような地震が起きるのです。ところが、今回は何の前触れもなく、いきなりでした。そして、グワシャッという岩が崩れるような音がしました。これまでに何度も地震が起きていたので、地面に耐える力がなくなっていたのだろうかと思いました」
急いでパソコンからハードディスクを取り外し、貴重品を入れるカバンに突っ込んだ。玄関に掛けてあった防寒着を素早く着込む。
自宅の前を流れる小さな川では、底から土がわき上がっていた。いつもなら見えない岩も露出していた。「川の底が液状化したのか」と驚いた。
裏山の階段を登り、家や海の方へ目を凝らす。
「船着場の方から浸水して来ました。最も海側には安政元年に先祖が建てた築後約170年の母屋があります。これが水切り役になって、津波の勢いが弱まり、私が住んでいる平屋の家や、その後ろのお宅などが損壊から守られました。津波は計5~6回押し寄せるのが見えました」