「杉さんはお父さん」
後援会長の福田には、“芸能界引退”についての思いを明かしたという。それは、主演ドラマ『遠山の金さん』やレコード『すきま風』の大ヒットで人気絶頂にあった30代の頃だった。
僕は18歳で故郷の神戸から1人で上京して、下積み生活を経て20歳でデビューした。親孝行したい一心だったよ。でも、裏と表を使い分ける芸能界に疲れ果てていてね。デビュー当時、「歌番組に出るには、プロデューサーへのつけ届けをしなければならない」って聞いて、深夜にプロデューサーの家の前で待ったことがあった。箱の底に現金を忍ばせた菓子折りを持って、寒さに凍えながら。明け方ようやく帰って来たプロデューサーは、ひったくるように菓子折りを持っていった。
その後、念願の歌番組に呼ばれた。嬉しくて親戚中に知らせてまわったんだけど、僕の歌は1コーラスしか放送されなかった。なんでかといえば、つけ届けの金額が少なかったから。
でもそのプロデューサーは、僕が売れた途端にペコペコと頭を下げてくるような男だったよ。そんな人間が跋扈している業界で、何も信じられなくなった。
それに30代の頃は、ドラマを月に13本分収録するような生活で、人間らしい余裕なんてまるでなかった。このままいったらダメになるって思った。自分で潔く「杉良太郎を始末したい」と思って、お世話になった新聞記者に言ったんだ。「いつでも書いてくれ。『杉良太郎、引退』って。俺は人に殺されるのは嫌なんだよ。杉良太郎は、杉良太郎が殺すんだ」。それを聞いた記者は「杉さんが引退するなら自分も記者をやめます」とまで言ってくれたよ。
「君は純だな」
記事にはならなかったけど、ある時、福田先生から「ちょっと来てくれ」と呼ばれた。劇場の社長たちが「杉さんが引退すると言っている。福田先生、止めてください」と相談に行ったそうなんだ。
福田先生が「どうして引退するんだ。話を聞かせてくれ」と言うんで、自分の胸の内を明かした。そうしたら、福田先生はひと言。
「君は純だな。よくそんな純な気持ちで、芸能界を渡ってこられたな」
吐いた唾は飲めないし、媚びを売ることもできない。福田先生はそういう僕の性格を見抜いていたんだよ。結局、福田先生は「50年でも100年でもやってください!」と言葉を残した。僕は芸能活動を続けることになった。
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本記事の全文は「文藝春秋 電子版」に掲載されています。杉良太郎氏の連載「人生は桜吹雪」は、「文藝春秋 電子版」ですべて読むことができます。
■杉良太郎 連載「人生は桜吹雪」
第1回「安倍さんに謝りながら泣いた」
第2回「住銀の天皇の縋るような眼差し」
第3回「江利チエミが死ぬほど愛した高倉健」
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