能登半島地震の被災者の避難先に物資を持って駆け付け、自ら食事も振る舞ったことが大きな話題となっている俳優で歌手の杉良太郎(79)。長年の福祉活動などを通じて、芸能界から政財官界まで幅広い人脈を築き、その知られざる人間関係については月刊「文藝春秋」の連載で語っている。
財界人の中には、杉と親子の契りを交した人物もいる。それが伊藤忠商事会長の越後正一(まさかず、1991年没、享年89)だ。伊藤忠の五代目社長として辣腕をふるい、関西の繊維商社を日本を代表する総合商社へと成長させた“伊藤忠中興の祖”。杉が見てきたのは、社員たちが知らない彼の素顔だった。(聞き手・構成=音部美穂・ライター)
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越後さんとの付き合いが始まったのは、奥様のきみ子夫人がきっかけ。夫人は僕の公演をよく観に来てくれていて、楽屋の外で出待ちしていた。それを劇場の支配人から聞いて、楽屋に入ってもらったんだよ。以来、きみ子夫人は、楽屋によくご飯を炊いて持ってきてくれた。なんでも、「主人は、高級料亭で食事する時でも、このご飯をタッパーに入れて持って行くんですよ」って言うんだよ。普通の米をお鍋で炊いているだけらしいんだけど、粘り気といい風味といい、絶妙でね。越後さんが持ち歩くのも納得だった。
越後正一夫妻と交わした契り
ご夫妻と一緒に食事するようになってしばらく経った頃、かつて夫妻が息子さん全員を一度に亡くされていたことを知った。
「それで、お母さん(夫人)ともう一緒に死んじゃおうって思って……」
越後さんの沈痛な面持ちを見たら「なぜ亡くなったのか」なんて、とても聞けなかった。
「死んで息子さんたちのところに行きたい……?」
2人ともうつむいて黙ったまま。とっさに「僕が息子になるから、死なないで」と言った。2人が目を丸くしてね。
「ほんまか、杉さん!」
「僕で良かったら息子になるから」
「えっ……。ほんまかいな。杉さんが息子になってくれるんか。よかった……。よかったー! ありがとう、ありがとう」
そこから、僕は夫妻を「お父さん、お母さん」と呼んで、籍は入れずとも精神的な親子になった。僕のことは「杉さん」って呼んでいたけど、3人で食事した後に送られてきた手紙には、「親子3人水入らずの夕食、楽しかった。幸せだった」という内容が書かれていて、本当の息子のように思ってくれていた。