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《追悼・徳田虎雄》「一泊5.5万の特別室で…」盟友が明かす徳洲会グループ“病院王”の闘病生活

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「南海の虎」と評される迫力

 それでも、豊富な資金力をもとに政党「自由連合」を94年に結成。前出の石井氏は徳田氏の政治的パートナーでもあった。石井氏が振り返る。

「初めて会ったのは、73年に神戸市内で行われた彼の講演に参加したとき。その熱弁、ユーモア、動きは全て今も脳裏に焼き付いています。自由連合に幹事長として参画しましたが、結果として、彼は政治家としては報われなかった」

 国政選挙では、2001年の参議院議員選挙で多数のタレント候補を擁立したことで話題を呼んだ。

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「あの時は92人の候補者を立てて、全部で90億円くらい使ったはずです。徳田さんも流石にやりすぎたと思ったのか、徳洲会の幹部らが集まる会議で、『自分の懐に入れたわけじゃないから許してほしい』と謝罪していました」(同前)

 元東京都知事の故・石原慎太郎氏や亀井静香元衆院議員らと親交が深いことでも知られた。その亀井氏は徳田氏の迫力を「南海の虎」と評している。

南海の虎・徳田虎雄氏

難病を患うも、徳洲会のドンとして君臨し続けた

 だが、飛ぶ鳥を落とす勢いだった徳田氏は02年頃から、全身の筋肉が動かなくなる進行性の難病であるALS(筋萎縮性側索硬化症)を患い、05年に政界を引退。以降、症状は悪化の一途を辿り、眼球を動かす筋肉以外、全身不随に。そんな状況でも、病院経営について指示することもあったという。

「ひらがな五十音と数字が記されたプラスチックの文字盤を秘書が持ち、徳田氏は目を上下左右に動かすことで意思疎通を図っていました」(全国紙記者)

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