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言動が矛盾していたら「仕草を信じよ」が原則

 会見が遅れた言い訳も苦しい限りだ。遅きに失した感を取り戻すべく、「まず」と直接お詫びするのが先だったと何度も強調するが、強調すればするだけ、「だったら早く行けばよかったのになぜ?」と、内田監督の「まず」に矛盾を感じてしまう。

 辞任の判断を聞かれた際も「まず」と言って、「お詫びを」の「お」の形の口をしたまま間があいた。言い出しそうで言い出さないその仕草に、お詫びと言う言葉を口にすることに抵抗があるのではと、見ている側は無意識のうちに感じ取る。他にも「お詫び」という言葉を言う度に、その前に間があいたり身体が揺れたりだ。お詫びすることに心理的に抵抗があったように思えてくる。

 誰もが知りたかった、「監督の指示だったのか」という点について、内田監督は「文書で答える」と真相を明らかにすることを避けた。

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 だが、記者から「1つ目のプレーで壊してこいと言ったというが」と聞かれて、軽く何度も頷き、続けて「指示をしたという証言が複数あるが」と聞かれ、やはり何度も頷いた。関西学院大に提出した回答書では「指導者の教えと選手の理解に乖離があった」と、指示を否定しているが、この質問にはきちんと頷いていたのだ。明確な指示でなくても、選手がそう取るだろうという意識はあったと思える

 社会心理学者のピーター・コレットはその著書『うなずく人ほど、うわの空』(ソニーマガジンズ)の中で、「言葉と無意識の仕草のどちらを信じたらよいかわからない時」は、「仕草を信じよ」が原則だと綴っている。

「悪質タックル」の真相については説明を避けた ©共同通信社

役職辞任については「それは違う問題です」

 だが、指示については「精査する」と言い、戻ってきた羽田空港でも「個人個人の考えがある」と、原因はまるで選手にあるかのような言い方を繰り返すのみ。肝心の部分は逃げに走る姿勢に、真相を闇に葬ろうとしているのではと思えてくる。ネットやメディアで、複数の関係者が監督の指示があったと証言していることも鑑みると、これらの返答も、学内の調査で、指示は否定で押し切れると思うだけの力と権限が内田監督にはあるのだろうことが推測されるのだ。

 常任理事の役職辞任については「それは違う問題です」と言及しなかった内田監督。反則を指示したとなれば、問題は役職人事、大学運営にまで及ぶ。一度手にした力は離したくないのが人間だ。この会見を見ていると、それを避けるためのパフォーマンスだったような気がしてならない。

 姿を現すまでに、どんな会見をするか練っただろうが、それが功を奏さなかったのは、被害者への謝罪や選手やチームを守ろうとするより、自分を守ろうとする姿勢が強かったからだ。さてどんな答えが出てくるのか、追加調査の回答を待とう。