球団では高津監督の続投を選択肢に残しつつ、交代なら内部昇格で池山隆寛2軍監督(58)や嶋基宏ヘッドコーチ(39)、外部招聘では古田敦也氏(59)など広く候補者が挙げていたが、有力候補は宮本慎也氏(53)だったという。
宮本氏は現役時代に通算2133安打を放ち、遊撃と三塁でゴールデングラブ賞計10度の名内野手としてヤクルト一筋に活躍した。PL学園高(大阪)で培われた野球に取り組む厳格さを前面に出し、08年北京五輪で主将を務めるほどのキャプテンシーでチームを牽引した。
13年に引退後、18年にはヤクルト入団時の担当スカウトでもあった恩師、小川淳司監督(現ゼネラルマネジャー=GM)の2度目の監督就任に伴い、ヘッドコーチとして古巣に復帰した。
「今のチームには慎也さんの厳しさが必要」という声もあるが
同年は前年最下位のチームが一気に2位と躍進したものの、翌19年は最下位に逆戻り。その責任を取る形で、小川監督とともに辞任に至った。
「慎也さんがヘッドコーチに呼ばれたのは、球団としては次期監督含みでした。それが、おカネに不自由していなかったとはいえ、たった2年で去るなんて……。小川さんが『おまえは残れ』と諭していたにもかかわらず、あっさり身を引いたことには球団も選手も驚きを持って受け止めていました」(チームスタッフ)
当時の引き際が鮮やかだったことも手伝ってか、チームが不振にあえいでいた今季途中には「宮本監督待望論」が再燃した。
「今のチームには慎也さんの厳しさが必要です。ヤクルトは良くも悪くもファミリー気質で、厳しさに欠けるところがあります。空気を引き締める役目はこれまで広岡(達朗)さんやノムさんと外部の人材に託してきた歴史がありますが、生え抜きのOBに、うってつけの人材(宮本氏)がいるのですから生かさない手はありません」(同前)
こうした球団の動きは一部選手にも伝わり、夏場を前に話題になっていた。それが青木の引退発表につながったのではないかという見方があるのだ。