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伝説の「ぐるぐる巻き」特訓

 凍てつく山の中で何百球、何千球とボールを打ったが、初めのうちは思うように球が飛ばなかった。クラブの握り方に原因があると考えた青木は、両手を絶縁テープで固定した。この特訓はのちのちまでゴルフ界の語り草となっている。

ティーオフ前に笑顔を見せる青木功(左)と尾崎将司(2011年) Ⓒ時事通信社

「自分ではグリップをスクエアにしているつもりでも球を打っているといつの間にかストロング(左手を被せるように握るグリップ)に戻ってしまうんだ。ならばと、クラブを握る両手をぐるぐる巻きにして、朝から晩までボールを打ち続けた。腹が減ったら鷹巣におにぎりを口に押し込んでもらい、喉が渇けばお茶を飲ませてもらった。

 しばらくやっているうちにフックの曲がりが少なくなってきて、『できたぞ!』と喜んでいると、鷹巣が『まだだ』と言う。何時間もぶっ通しで打ちこんだおかげで、スライスの打ち方が骨の髄まで染み込んだ。この時、球筋を変えたことが私のゴルフ人生の一大転機となったことは間違いないだろうね」

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「王さん、オレ、やりますよ」

 実は、この青木の鹿野山特訓に立ち会った人物がいる。世界のホームラン王・王貞治だ。当時、鹿野山では読売巨人軍の選手が自主トレを行っていた。王や長嶋茂雄、土井正三や柴田勲たちが走り込みをしていたという。

王貞治氏 ©文藝春秋

 王はこの時の青木について文章に残している。

《青木さん、鹿野山カントリークラブでのトレーニングのことを覚えていますか。(中略)

 それ以前にもエキシビションやパーティーで何回か顔を合わせたことはありました。しかし、鹿野山キャンプでの青木さんは、それまでの印象とはまったく違っていました。

(中略)あなたは、

「フックボールを打っていたんじゃ勝てない」

 と、持ち球を正反対のフェードボールにしようと、スタンスからグリップ、スイングに至るまで、およそ自分のゴルフのすべてを変えようとして臨んでいたトレーニング・キャンプだったに違いありません。(中略)

「王さん、オレ、やりますよ」

 といったその目と顔の気迫に圧倒されたことを今でも覚えています。

 その時あなたは、そこまでしてでも自分のゴルフを変えようとしたのでしょう。その「変化」、「変身」こそが、今の青木さんのスタートではなかったでしょうか。大きな失敗を経験し、それをバネにして変われたからこそ、その後の快進撃があったのだと思います。(中略)

 その行動力、夢に、日本のゴルフ界が引っ張られて行くことを心から願い、祈っています。

王 貞治》

(『青木功物語 誰も書けなかった、ちょっといい話。』日本文化出版刊)

青木功氏の本記事全文は、「文藝春秋 電子版」に掲載されています。

 

記事全文では、初のAOの直接対決の詳細や、王氏が現役引退を発表した時のエピソード、プロ生活50年のパーティにおける発言などが語られている。

 

■連載「山あり谷ありバンカーあり
第1回「トランプさんに贈ったドライバー
第2回「ジャンボ、ありがとうな

第3回「世界4大ツアー優勝の鍵は体力・家族・鈍感力