ノーベル委員会のこだわり、「これは物理だ」という防御線
記者会見の場やそのあとに記者や世界中の物理学者から「なぜ、これが物理学賞なのか」、「物理をどう規定しているのか」などと厳しい質問が矢のようにやってくることを承知しているから、彼らは「これは物理だ」と必ず防御線を張る。2021年度の記者会見でも、「なぜ気候変動が物理学賞なのか」という質問があり、委員会担当者は「気象、気候は物理だ。複雑物理系だ」と興奮して強調していた。
対象の研究が物理学の発展にどれだけ寄与したか、あるいは物理学が他分野の発展にどれだけ貢献したか、の二点がポイントである。だから、多くの有力候補が外されている。これは分野名が明記されている以上致し方ないことである。今回名前が上がらなかったが優れた業績を上げている神経回路網の研究者たちは脳を理論的に知りたいと思い長年研究を積み上げてきたのだから、今後別の分野の候補になることはありうるだろう。また、優れた先駆的な業績に賞を与えるというなら、分野ごとの賞ではなく単に「ノーベル賞」とすればよいのだが、これは委員会の専権事項だから筆者のような外野がとやかく言うべきものではない。
委員会とアインシュタインの紳士的な戦い
委員会のこだわりは、分野だけではなく受賞テーマにも注がれる。最も大きな“事件”はアインシュタインの受賞テーマ、すなわち受賞理由だ。
1905年、アインシュタインは三つのいずれも革命的な論文を発表した。前述したように、この年は「奇跡の年」といわれている。光電効果の理論(3月発表)、ブラウン運動の理論(5月発表)、特殊相対性理論(6月発表)の三つをこの年に発表した。
アインシュタインは1922年、来日する8日前に船上でノーベル物理学賞受賞の一報を受けたが、受賞理由は「理論物理学への貢献、特に光電効果の理論に対して」であった。アインシュタイン自身は特殊相対性理論とその後に発表した一般相対性理論が受賞対象になると思っていたようだ。1921年度は第一次大戦終結直後の様々な混乱がありノーベル賞は保留になっていた。それでアインシュタインの受賞は1921年度受賞ということになり、1922年度は「原子構造と原子からの放射の研究」に対してニールス・ボーアが受賞した。
ノーベル財団によって刊行されたNOBEL LECTURES Including Presentation Speeches And Laureates’ Biographies PHYSICS 1910-1921 (Published for the Nobel Foundation in 1998 by World Scientific Publishing Co. Pte. Ltd.) を読むと、委員会とアインシュタインの間にひそかな戦いがあったことが窺い知れる。