その直後の4月末から5月にかけての時期に、ハローワークの紹介で地元の住宅設備会社に就職し、ソーラーパネルを販売する営業職として益田市に派遣された。彼の営業範囲には、被害者Mさんの勤める「ゆめタウン」があった。
また、矢野が益田市で住んでいたのは、会社が借り上げた二階建ての一軒家の社宅。この家の風呂場で、Mさんの遺体を解体していた。
事件発生日(10月26日)以降も、矢野は普段と変わらず出勤していた。矢野によるmixiへの書き込みは、11月1日19時28分のものが最後となる。
「一般家庭の消費電力の実態について調べています」との見出しで、外出中に各家庭のソーラーパネルの設置状況を自然と見るようになったと、当時の仕事をするようになってから身についた習慣についてしか書かれていない。だがこの頃、勤め先に「営業先を変えて欲しい」との連絡を入れていたようだ。
「用事があるので、明日から2日間、代休がほしい」
11月2日には警察が公開捜査に踏み切り、遺体が発見される前日(11月5日)、矢野は故郷の山口を訪れて知人に「大変なことをしてしまった」「交際している女性の関係で暴力団に追われている」と漏らしていたとの証言もある。性犯罪を繰り返してきた、卑劣で小心な犯人像が浮かぶ。
なお、11月4日未明には、臥龍山の山頂付近を見渡せる場所に住む女性が、午前1時から午前4時頃にかけて、長々とヘッドライトを灯していた車があったのを目撃したと証言している(証言の公開は2014年10月26日)。
そしてMさんの遺体が発見された11月6日の夜、住宅設備会社の社長のもとに「用事があるので、明日から2日間、代休がほしい」と矢野から電話があった。この社長によると、矢野は勤務態度が真面目で、休みの申請はこれが初めてだったそうだ。
また、2016年の容疑者洗い直しの際、Mさんの遺体に付着していたビニール片が、1995年にNTTが電話帳を配布するために用意した取っ手付きのビニール袋であることが判明し、同じものが広島県だけでなく山口県にも流通していることがわかり、捜査範囲を拡大してNシステムの映像も調べ直していた。