「写楽正体もの」をやるからには……
2025年の大河ドラマ『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』にあわせて蔦屋重三郎関連作品が続々と刊行されるなか、いっぷう変わった視点から蔦屋の生きた時代を描き出すのが本作、『憧れ写楽』だ。
主人公は、蔦屋のライバルともいえる老舗版元の主、鶴屋喜右衛門。彼が蔦屋に妨害されつつ、消えた浮世絵師・東洲斎写楽の正体を追う、というのがこの作品のメインストーリーだが、そもそも現代に「写楽正体もの」を書くのはとても難しいことだったと谷津さんは語る。
「写楽の正体は、斎藤十郎兵衛という能楽師でほぼ間違いない、ということが近年の研究で明らかになっているんです。それが『写楽正体もの』が下火になった理由でもあるのですが、さらに写楽に関しては先行作がたくさんあることもあり、持論を持っている方が多くて。十年前に『蔦屋』という作品を書いたときにも、版元の方から『写楽については、ややこしいから触れないでくれ』と言われたぐらいです」
『蔦屋』は大勢の人に支持され、谷津さんの出世作になったが、この作品のなかで写楽に触れられなかったことは、谷津さんのなかでわだかまりとして残っていたという。
「蔦屋重三郎を書きながら、写楽を書かないのはどうなんだろうな、と。今回の作品は、わたしにとっては十年越しの宿題のようなものでした」
写楽の正体はほぼ分かっている。しかし写楽の正体を探る「写楽正体もの」にしたい。この無理難題を叶えるために谷津さんが考えだしたのは「写楽は二人いる」というプロットだった。写楽の絵のうち、最初期に出た評価の高い六枚を別の人物が描いており、斎藤十郎兵衛はその画風を真似てその後の「写楽」になったというのが谷津さんが本作で採用した展開だ。
「無理やりこねくり出した感もありますが(笑)、これで新しい写楽ものができると思いました。さらにもう一つ、『写楽正体もの』をやるからには、これまで誰も考えていない人物を指摘したいという気持ちもあり、もしこの人が写楽だったら、と思いながらいろいろ調べていきました。そうしたら、その人物が写楽である状況証拠がバチバチと嵌まってしまい、説得力が高まっていったのに自分でも驚きました。書いていて、今までにない楽しさがありましたね。個人的には『写楽正体もの』の可能性を広げられたんじゃないかと思います。もしかしたら『そこは崩しちゃだめでしょう』と怒られるかもしれませんが……怒られるか褒められるか、のるかそるかの作品ですね」
谷津矢車(やつ・やぐるま)
1986年、東京都生まれ。2013年に『洛中洛外画狂伝 狩野永徳』でデビュー。18年に『おもちゃ絵芳藤』で歴史時代作家クラブ賞の作品賞を受賞。