複数の上場企業で活躍しながら、東大大学院に通う矢口太一さん25歳。「両親高卒、地方生まれ、塾ナシ」で東大に入学した。しかし、「仕送りナシ、貯金ナシ、学費・生活費自費」で学生生活を送らなければならなかったという。彼は東大でどんなことを学び、どうやって卒業したのか?
ここでは、矢口さんの著書『この不平等な世界で、僕たちがスタートラインに立つために』(朝日新聞出版)より一部を抜粋して紹介する。(全2回の2回目/1回目から続く)
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多様性を構成するメンバーが「高学歴」の人たちばかり
東京大学に入学してから、「多様性」というキーワードの議論に居合わせることが多くなった。
「組織には多様性が必要だ」
「多様な個性を活かせる社会にするべきだ」
僕もそう思う。言っていることはすごくわかる。
ただ、僕はこうした議論に居合わせるたび、もやもやする気持ちが湧いてきて、いい気分がしなかった。友人たちと大学の講義や雑談の中で「多様性」や「これからの日本・社会」を話すとき、僕はどうしても、その議論の中の「国民・市民」の中に、僕が生まれ育った地域の幼馴染、両親、そして僕のような人たちが入っていない、そんな気がしてならなかった。
「どうしてや? いま議論しとる『多様性』に入っている人たち、議論で想定している対象者、みんな英語喋れて、高学歴で、収入多そうなんやけど…。めっちゃ『多様な』経験積んだ人ばっかりかもしれん…」
多様性の議論で、「マイノリティ」をはじめその多様性の構成員として認められるためには、まずその議論に参加をしている必要があるのではないか。多様性を構成するメンバーが、どうしても東大生を含め「高学歴」の人たちばかりな気がしてならなかった。
僕たちの社会や組織の「何か」を決めるとき、「誰か」が議論をして意思決定をしていく。きっと、東京大学の友人たちは、行政や政治、民間組織のそういった意思決定の場に参加することが多くなっていく人たちだろう。「偉く」なって、この社会や組織の「ルール」を決めていく人たちになる可能性が高い。