幼少期に海外に住んでいたり、両親が大企業の管理職だったり…東大生の実態
ただ、彼らの中で、両親が高卒だったり、家が裕福でなくて苦学したり、女の子だから浪人してはいけないなんて言われたりした、ある意味で「普通の人たち」は、この社会全体の平均と比べれば、とても少ない。
逆に、幼少期に海外に住んでいたり、両親が大企業の管理職だったり、家が裕福だったり、教育に理解があったり、いわば「エリートコース」に属している、そんな人たちが、社会全体の平均と比べて、とても多い。
「普通の人たち」はそもそも意思決定の場に立てる人が少ない。それは事実なんだと思う。だから、生まれながらに与えられた周りの環境や制度で、能力や可能性を発揮できなかったことを変えようとか、苦学生にとってもっと実効性のある奨学金制度に変えようとか、そういう議論がそもそも起こりにくいのだ。
だって意思決定者がそんな現実を知らないから。意思決定の場に参加できていない以上、僕たち「普通の人たち」はしばしばその「多様性」の構成員から漏れている。
この本を執筆するモチベーション
僕は、自分のふるさとに住んでいる「普通の人たち」、自分の生まれ育った家庭のような決して社会階層が高くはない人たちの「代弁者」になろう、そう思うようになっていった。いろんな幸運が重なって、こんな世界に迷い込んだ以上、僕は「国民・市民」の中から、かつての僕や両親、幼馴染たちが決して漏れないようにする。そう決めた。
この本を執筆するモチベーションもここにある。1人でも多くの「普通の人たち」が、ロールモデルを得て、スタートラインに立ち、意思決定の場に参加すること。そのことが誰もがスタートラインに立てる社会を作っていくために必要だと信じるからだ。