ところが、事件から約1カ月後。三原氏は「週刊ポスト」(87年5月15日号)の取材で、今度は“冤罪”を主張しているのだ。
〈供述書を見せられたその時よ。“ここに名前を書いて、指で捺印して”っていうから、その文章を読んでみたの。そしたら“私は殴ったりしました……”という文字があるじゃない。思わず“エッ! 私、殴ったりしてませんけど”って、何度も繰り返しいったわ〉
被害に遭った「フライデー」のカメラマンに聞いてみると…
いったい本当のところはどうだったのか。小誌は被害に遭った「フライデー」の契約カメラマンA氏を探し出し、話を聞いた。
――激しく殴られた?
「昔の話なのであまり覚えていないんですが、三原さんではなく、彼氏のXさんにやられた記憶があります。カメラを奪い取られて、思いっきり地面に叩きつけられて木端微塵になっちゃって。その後、馬乗りになって顔面を殴られて……」
つまり、やはり三原氏は“無罪”だったということか。だが、小誌はその場にいたもう1人のカメラマンB氏にも接触した。
――三原氏が殴っていた?
「私は遅れて現場に駆け付けたんですが、そのときすでに三原さんがA君に馬乗りになって、叫びながら何度も顔面を殴っていましたよ。今でもはっきり覚えていますし、私が止めに入ったので間違いありません」
金八先生での名台詞「顔はヤバいよ。ボディやんな、ボディを」を超越した大立ち回りを演じていたというのだ。
A氏「あの事件があってからカメラマンを辞めちゃいました」
その後、事件は検察庁に送られ起訴猶予処分が下されている。前出のカメラマンA氏が述懐する。
「カメラが壊されたからその日撮った写真も全部ダメになっちゃって。重傷ではなかったんですけど、あの事件があってから、この仕事は難しいなと思うようになって、半年後くらいに辞めちゃいました」
三原氏は当時の“犯行”をどのように考えているのか。事務所に質問状を送るとこう回答した。
「参議院議員となる前のかなり昔のことであり、相手方とも和解した事案なので、お答えは差し控えます」
担当大臣として「こども」に伝えられない事案であることは間違いない。
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「週刊文春 電子版」および1月8日(水)発売の「週刊文春」では、「三原じゅん子こども相 奇怪すぎる資産隠し《入閣直前に株の名義変更、会社も解散し…》」を詳しく報じている。