最後の最後に用意された、隆子にとっての救い
監督としては、私のことをわけのわからない時代に出てきた、わけのわからない女優だと思って警戒していたでしょうから、肩透かしを食らった気分になったかもしれません。「おや? 秋吉は意外と何も言ってこないぞ。逆にやりづらいな」と。当時の私は世間的には生意気だとか、とっぽいイメージがあったようですが、自分では真面目で、素朴な人間だと思っているんです。わかりやすく言うと、画家の山下清さんのような。渥美清さんにも最初は「秋吉さんはヤンキーなんですか?」と聞かれて驚きましたが、撮影をご一緒するうちに「トンボを追いかける少年のような人ですね」と言われるようになりました。私の中に息づく山下清的なものに気づいてくださったのかもしれません(笑)。
渥美さんをはじめ、松村達雄さんや笹野高史さんら共演者の方々、撮影の高羽哲夫さんらスタッフの方々とご一緒できたのもすばらしい経験になりました。物語の終盤、隆子がとらやに寅さんを訪ねるシーンの撮影では、倍賞千恵子さんや前田吟さんに囲まれて「さくらだ!」「博がいる!」と大興奮。寅さんは不在で再会は叶わなかったけれど、隆子と寅さんは「一夜の縁」なので仕方がないですね。
それにしても、最後にとらやで寅さんに再会するわけでもなく、結婚や婚約などのめでたい報告をするわけでもないマドンナって隆子のほかにいないんじゃないでしょうか。そうしたニューシネマ的な要素はラストまでブレない一方、『男はつらいよ』ならではのウェットな部分は生き別れの母子が再会することで補完される。それでいて、最後の最後に隆子にとっての救いも用意してくれているんです。甥の満男に「人間は何のために生きてんのかな?」と訊ねられた寅さんが、「生まれてきてよかったなって思うことが何べんかあるじゃない、そのために人間生きてんじゃねえのか」と答える台詞。あの言葉は、疑似家族として幸せな一夜を過ごし、それぞれ別の場所に向かう3人への餞でもあります。あらゆる要素をジグソーパズルのようにはめ込み、『男はつらいよ』という国民的映画にまとめ上げる監督の技量に感服しました。その後、ふたたび監督とご一緒する機会に恵まれていないのは、私と監督も「一夜の縁」だったからなのかなあ、なんて思っているんです。