「君、また当たったよ。おう、また当たった」
司馬の描く東郷はとにかく、かっこいい。真之ら幕僚たちが浮足立つ中でも、寡黙かつ沈着冷静で、常に的確な判断を下す。一種「聖人」のおもむきさえある。晩年の東郷に常に寄り添い、その偶像化・神格化に力を注いだ退役海軍中将・小笠原長生も1934年に東郷が亡くなった後は「聖将」と呼び、太平洋戦争の戦前・戦中にはその呼び名が一般化した。
しかし、小笠原以外の人々が伝える東郷像はもっと人間くさい。東郷の後輩の海軍大将・山梨勝之進は海上自衛隊幹部学校講話集「歴史と名将」の中で東郷を「ファイター」と評し、東郷の下で参謀を務めた有馬良橘から聞いた話として「敵の艦隊が次第に近づいて、旗艦『三笠』の12インチ砲から初弾が一発出ると、いつもの東郷さんの顔つきが変わってきた。ほんとうに晴れ晴れとした、せいせいとした、わが意を得たりというか面相が変わった」というエピソードを紹介している。
山梨によれば、1923年の関東大震災の時に75歳だった東郷は、麴町の自宅に炎が迫ってくると海軍大将の軍服を着て脚絆(きゃはん)をつけ、2階に上がってバケツで瓦に水を撒き、とうとう自分で火を消し止めてしまった。築地にあった海軍将校の親睦・研究団体「水交社」が焼け落ちたと聞いた時には「若い者が大勢いるのにあれを焼かすようなやつは不とどき千万である。ふがいないやつだ」と非常に機嫌が悪かったという。
また、日本海海戦の時に「三笠」の艦橋にいた長谷川清の回想によれば、東郷は味方の砲撃が敵艦に相次いで命中すると「君、また当たったよ。おう、また当たった」と子どものように喜んで眺めていたという。「坂の上の雲」で司馬が造り上げた東郷のイメージを根底から覆してしまうエピソードだが、戦いの時に最も精神が高揚する東郷の人となりをよく表していると言えるだろう。
※本記事の全文(約1万2000字)は、月刊文藝春秋のウェブメディア「文藝春秋PLUS」に掲載されています(太田啓之「『坂の上の雲』真の主役・東郷平八郎の“神格化”と実像」)。全文では下記の内容をご覧いただけます。
・司馬も読めなかった「極秘資料」
・日本の運命を決する「歴史的会議」だった
・「丁字戦法」の真実
・「出会頭に突っ込む心組みであった」
・「東郷ターン」は作戦前から予定されていた
・「今度は半分なくすつもりで叩いてしまえ」
・超人的名将ではなく、リアリスト
・「撃滅」に登場する「坂の上の雲」の原型
「おう、また当たった!」敵艦に弾が命中すると大喜び 「坂の上の雲」真の主役・東郷平八郎の“神格化”と実像
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