福田康夫元首相が説く「記録を残すとは何か」
モリカケは外交にもつながる、という論は福田康夫元首相も続いた。
「元首相が驚く『記録は民主主義の原点 改ざんするなんて』」と題したインタビュー。朝日新聞の一面と社会面に大きく掲載された(6月9日)。
「記録を残す」とはどういうことか。元首相は語る。
《正しい情報なくして正しい民主主義は行われない。記録というのは民主主義の原点で、日々刻々と生産され続けるのです。》
さらに、
《外交にだって影響します。尖閣諸島や竹島などの領土をめぐる対立をみても記録の重要性がわかるでしょう。「日本の国立公文書館にいけば、正確な記録がある」と世界が考えるようになり、誠実に事実を積み重ねてきた国ということになれば、日本は信用される国になります。》
逆に言えば、平気で記録を改ざんする国は大事な領土問題でも外国から信頼されなくなる。それは恐ろしい事態だ。やはりモリカケは「小さな問題」ではないのである。
いつまでもモリカケやらざるを得ない理由
福田元首相は、
《国会では政府が事実を小出しにし、また新たな事実が発覚する、ということが繰り返されている。これではいつまで経っても終わりませんよ。いつまでも果てない議論の責任は追及する野党の側にあるのではありません。原因をつくった政府が責任を持って解決することを目指さなければならない。》
とも述べている。
野党の追及について「明確な根拠も示さず」「客観的な事実に基づかない」と書いた社説を先ほど紹介したが、そもそも文書が改ざんされたり隠蔽されていては追及できるものも追及できないであろう。そして新事実があとからあとから出てくる。
この調子で行くと「いつまでモリカケやってんだ」どころか「いつまでもモリカケやらざるを得ない」にも思える。自民党のベテラン議員や元首相の言葉を読んでそう思った。
神は細部に宿るのである。