異例の早稲田大学入学も“大騒動”に
高知県で生まれ育ち、中学2年のときにCMオーディションでグランプリを獲得。ニキビ治療薬クレアラシルのCMで鮮烈にデビュー。高校進学を機に上京してからの世間の「ヒロスエブーム」は、まさに無双状態だった。
「ポケベルのCMや写真集は話題を呼び、1997年春のデビューCD『MajiでKoiする5秒前』は60万枚を売り上げる大ヒット。大晦日には、セカンドシングル『大スキ!』を引っ提げてデビュー年にもかかわらず紅白にも出場しました。
いつもニコニコと取材相手にも気を遣うコで、『暑いけど夏バテは大丈夫ですか?』なんて声をかけてくる。若手の見本のようなタレントでした」(同前)
CDデビューの年の出演ドラマ『ビーチボーイズ』は、若き広末の代表作となった。透明感を備えたかわいらしさが当時のアイドル界でピカイチだったのだ。
1999年春には、アイドルとしては異例の早稲田大学教育学部入学も大きなニュースとなった。自己推薦入試で合格し、吉永小百合の再来と話題に。4月の入学式には出席できず初登校は6月末。学生、マスコミそして野次馬に揉みくちゃにされるという大騒動に――。
高校3年生の夏休みに「大学受験をナメるな」と…
「広末が大学受験を目指していることはよく知られていました。受験生だった高校3年生の夏休みに“初スキャンダル”がFOCUSされ、いま思えばあの時から、彼女のお騒がせぶりは始まった気がします」(テレビ局関係者)
押しも押されもせぬ国民的アイドルだった広末が写真週刊誌「FOCUS」に撮られたお相手は、当時20歳のモデル。彼の住む都内の古い六畳一間の木造アパートを訪ねて夜まで過ごし、着替えて帰った様子が報じられたことで、「大学受験をナメるな」とあらぬ方向からの矢も飛んだ。
「そのモデルが、当時MITSUUという芸名でしたがのちに神田沙也加さんと結婚した村田充でした。その次は、早稲田入学直前に、当時東京藝術大学在学中でモデルの伊勢谷友介。2001年に入ると、同郷の専門学校生に俳優の金子賢、そして元夫・岡沢高宏と立て続けに男性が替わり、浮名とともに広末の“気がかりな行動”が報じられるようになったんです」(同前)
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後編では、「状況を変えるためには、妊娠しちゃうしか思いつかなかった」と周囲に語り、2003年に早稲田大学を退学して23歳で長男を出産、シングルマザーの時期を経て、キャンドル・ジュン氏との再婚など、2000年代に入ってからの広末涼子の波乱の半生を振り返る。

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