「足元の近くにちぎれた人間の足が落ちているのに気づいた」

 520人が死亡した1985年の「日本航空123便墜落事故」は人々にどんな衝撃を与えたのか? 当時、そして事故から1年経過した社会の様子を、 同事故を取材した報道カメラマンの橋本昇氏の新刊『追想の現場』(鉄人社)のダイジェスト版よりお届けする。

遺体をヘリに収容する自衛隊員 ©橋本昇

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1年経過しても消えない痛み

 事故現場での捜索活動が一段落した夜、橋本氏は疲れ果てた仲間にと弁当を差し出した。あるカメラマンは「食欲があるんですねぇ」と笑いながら受け取った。しかし、いざ食べようとしたその時、衝撃的な光景が目に入った。

「足元の近くにちぎれた人間の足が落ちているのに気づいた」

 懐中電灯に照らし出された足は、生々しいほど鮮明だった。

 翌日、現場を再び訪れた橋本氏の目に飛び込んできたのは、機体の残骸や乗客の遺品が散乱する凄惨な光景だった。その中で、一つの遺品が心を強く揺さぶった。

「毛布の結び目の先から僅かに覗く指先──その親指の爪には、濃いパールピンクのマニュキュアが塗られていた」

 その鮮やかな色彩が、悲惨な現場にあって異彩を放っていた。

 事故から1年後、御巣鷹山での慰霊登山に同行した橋本氏は、今なお深い悲しみに包まれた遺族たちの姿を目にした。ある遺族は、こう語った。

「あの日以来、仕事にも手がつかず、家に帰ってもぼんやりしてるばかりです。一人、ここで家族を思い出しながら祈るだけです」

 慰霊式では、日航の経営陣に対する遺族の怒りの声も聞かれた。ボーイング社の副社長に向かって「坊主にしろ!」と吐き捨てる男性もいた。

 1年が経過しても癒えない悲しみと怒り――この事故が遺族たちに与えた深い傷跡を、橋本氏は改めて実感した。

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