◇
本名ホセ・アルベルト・ムヒカ・コルダノ。1935年5月20日、スペイン系の父とイタリア系の母の間に、ウルグアイの首都モンテビデオで生まれた。7歳の時に父親が亡くなり、家庭は裕福ではなかった。家畜の世話や花売りなどで家計を助けながら、社会運動に目覚め、極左武装組織に参加。独裁政権下でゲリラ活動に従事する。ゲリラ活動中には6発の銃弾を受け、4度の逮捕を経験。最後の逮捕では、1972年から85年に釈放されるまで約13年間の過酷な獄中生活を送った。換気口もトイレもない、2メートル×1.4メートルの独房に監禁されたこともあるという。
ウルグアイの民主化とともに恩赦で釈放。その後、左派政治団体を結成し、1994年に下院議員選挙で初当選。2010年、大統領に就任した。
◇
子供時代に出会った日本人の思い出
ムヒカ 私は首都モンテビデオ郊外の農村で生まれた。そこには日本人移住者が住んでいた。最初はタカタさんという家族。あと、オオノさんやチバさん、彼らはみんな、花の栽培をしていた。当時日本人は50人程度かな、ウルグアイ人も日本人の園芸農家で働いていた。
タカタさんの奥さんは、地域のリーダーでみんなから愛されていた。みんなの仲を取り持ったり、仲人をしたり。私の母親はタカタさんの奥さんと仲が良かった。面白いと思ったのは、彼らの生活スタイルは純日本風だが、どちらかといえば女性が主導権を持っているようにみえたことだ。女性がきびきびしているというか、もしかしたらウルグアイ人のスタイルを真似て、日本人女性が活発になったのかもしれない(笑)。
タカタさんはウルグアイで成功していて、日本から花の栽培の専門家を呼び寄せていた。そこで働いていたウルグアイ人を通じて私も技術を教わり、一通り園芸を学んだんだ。子供の頃に日本語をこの耳で聞いていたんだよ。
※本記事の全文(約9000字)は、月刊文藝春秋のウェブメディア「文藝春秋PLUS」に掲載されています(ホセ・ムヒカ「日本人への警告 世界一貧しい大統領」)。全文では下記の内容をお読みいただけます。
・子供時代に出会った日本人の思い出
・日本から学ぶべきことは多い
・ノーネクタイに込められた信念
・「パナマ文書」とは真逆な人物
・ゲバラ、オバマと会った印象
・老人の孤独死は国家が解決すべきだ
