さて、あの男が1期4年(実際には任期満了前に辞職)で去った後の安芸高田市には何が残ったのか。政治家としての「レガシー」だけでなく、2万6000人足らずの市民の心に何を残したのか。それを知りたい一心で、私は車を広島市から北に向けて走らせた。
今度こそ市政を刷新しなければ
本題に入る前に、あの男がなぜ安芸高田市の市長に当選できたのか、その経緯を振り返っておこう。
2020年8月に行われた安芸高田市の市長選挙で、市民は旧態依然とした政治に辟易していた。余りにも同じパターンで世の中から市が袋叩きにあうことに呆れた、という市民もいる。合併後初の市長として1期務めた児玉更太郎、続いて3期12年務めた浜田一義の後、2020年4月の選挙で当選した児玉浩は、河井克行元法務大臣の買収事件をめぐって、在職数ヶ月で辞職に追い込まれた。河井から計60万円を受け取っていたからだ。
――次の市長選では誰が出るのか。今度こそ市政を刷新しなければ。
2015年から3年間、安芸高田市の地域おこし協力隊員を務め、そのままこの町に定住した南澤克彦(当時44、2020年11月から市議)は、同世代の仲間たちと話し合った。
「俺たちで誰か若手の候補をかつがんといけんのじゃないか?」
そんな中で、副市長だった竹本峰昭が立候補を表明した。当時66歳の市政のベテラン。若くはないが、安定感はある。混乱した市政を治められる人材かもしれない。市民の中にはそんな期待もあった。
すると、7月19日に市議の熊高昌三(当時67)が一人の青年を連れて、南澤の家を訪ねてきた。それがあの男だった。熊高はこう言った。
「今度の市長選挙に立候補するそうだから、若い仲間で支えてくれないか?」
あの男の母親と熊高は、旧高宮町の中学校で同級生。父が町議をしていた熊高と親しかった。
「息子が立候補しますので、よろしくお願いします」
地元で母親は息子を連れて、知り合いの議員たちに挨拶してまわった。京都大学卒のメガバンク行員で、ニューヨーク勤務経験あり。独身。ふるさとの窮状を見かねて、銀行に辞表を出して立候補するという。選挙告示まで残り2週間しかなかった。
結果、支持した市議はわずか数人。あとの議員はすべて副市長の竹本を支持した。あの男を南澤に紹介した熊高でさえ、「わしは伸二くんを応援できん。旧知の副市長を支持する」と語っていたほどだ。
市長選への立候補を宣言した記者会見で、あの男は実に爽やかにこう語った。
「全国の私のような30代若手のみなさん、みなさんの地元が困っていると思います。そろそろぼくたち世代の頑張りどころだと思います。もちろんうまくいく保証はありません。僕自身も不安で仕方がない。ただ、やらないことには何も始まりません。ぜひ一緒に勇気をだして挑戦してみましょう。
そして安芸高田市のみなさん、今回はからずもこの町は全国で(河井元法相の問題で)有名になってしまいました。ただここで起きた問題は日本全国で共通する問題だと思っています。われわれが変われば広島が変わり日本が変わりうると思います。ぜひ一緒に、ここから安芸高田市から新しい政治を始めていきましょう」
