現在は画家として活躍している飯島ゆりえさん。実は、唯一無二の特別なキャリアを歩んできた人物だ。
グラフィックデザイナーの仕事をしながらボディビルの世界へ飛び込んだのが1982年。1989年には日本人女性初のプロボディビルダーになった。そして60歳を過ぎた今、絵画の世界で新たな一歩を踏み出している。どうして前例のないことにチャレンジし続けられるのか。ライターの我妻弘崇氏が詳しく話を伺った。
未経験でいきなりボディビルを始めた理由
きっかけは、池袋・西武デパートで当時行われていたカルチャースクールだった。球技や団体スポーツが「へたくそ」だという飯島さんは「女性のためのビューティーボディビル」という講座を見つけ、運動不足の解消になるかと思い申し込むことにした。未経験でいきなりボディビルを始めることに抵抗はなかったのだろうか。
「そういう先入観が何もなかったんですよ。今であれば、ボディビルのイメージって何となくわくだろうけど、何の知識もない。“キレイなプロポーションになれる”といった謳い文句に釣られて、『いいじゃん』みたいな(笑)。何も知らないからこそ、軽い気持ちで飛び込めたんでしょうね。」
体を鍛えていくにつれ、カルチャースクールの軽い器具では満足できなくなっていった飯島さんは、本格的なトレーニングを始めることにした。驚くことに、当時は仕事をした後に毎日ジムへ通っていたという。「大会に出てみないか」と最初に誘われたのもその時だ。しかし、結果は“予選落ち”だった――。
「自分から出たくて出たわけじゃなく、『ゆりえさん、出てみなよ』って担がれて舞台に上がったのに、いざ予選落ちとなると悔しくて。それで、来年からは女性にもボディビルと名の付く第1回大会が始まるから、それに出たらいいと言われて。83年に、『第1回ミス東京ボディビルコンテスト』という大会に出場したところ、本当に優勝しちゃって」
「日本人女性1人目」であるがゆえの苦労
それ以降、84年にミス関東で優勝、85年にミス日本で2位と続けて輝かしい成績を収めた飯島さん。しかし、まだまだ男性中心的だった当時のボディビル界で、限界も感じるようになってきたという。業を煮やした末に選んだのは、仕事を辞めてアメリカ・ロサンゼルスに飛ぶという選択肢だ。
「私は、女性のトレーニング方法が知りたかった。日本にいたらいつまで経っても分からない。男性のトレーナーの指導は、あくまで男性の筋肉に対してなんですよ。男と女は体型も違うし、体の組織もホルモンも違う。国内で誰も知らないんだったら本場に行くしかない」
ボディビル先進国のアメリカは日本とは全く違っていた。カルチャーショックを受けた飯島さんは、帰国後もアメリカで学んだ知識を活かしてトレーニングを続けたという。世界大会で2回優勝して、日本人女性初の「プロボディビルダー」になったのは1989年のことだ。その際も、“パイオニア”であるがゆえの苦労を経験した。
「日本の連盟に、『プロに転向したいから、IFBBにその旨を伝えてくれ』って伝えたものの、うんともすんとも言わない。プロになると、『プロカード』と呼ばれるプロ資格をもらえるんですけど、その手続きを何度もお願いしているのに、何にもやってくれなくて。いい加減、頭に来たから、アメリカにいる友人に頼んで、自力で『プロカード』の手配もしました」
60歳を過ぎてからのセカンドキャリア
プロ転向後は1999年まで第一線で活躍し、引退後は専門学校の講師やゴールドジムの公認パーソナルトレーナーとして、2020年まで体の鍛え方を人々に伝えてきた。画家への転身を決めたのは、コロナ禍がきっかけだ。
「コロナでゴールドジムが閉鎖して、パーソナルトレーナーが一時続けられなくなったことをきっかけに、リタイアすることにしました。ただ、老後をどうするのかと考えたとき、何にも趣味がないのはつまらないなって思った。『そうだ。私はもともとグラフィックデザイナーだった』って。基礎の勉強はしているわけだから、絵を描いてみたらどうだろうと」
2017年と2024年には個展を開き、あまりの売れ行きに「こんな人は見たことない」と画廊の人に驚かれたという飯島さん。現在も第2の人生を楽しんでいる最中だ。
写真=山元茂樹/文藝春秋
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飯島ゆりえさんが語る美しい筋肉のバランスや大会で「ウケる」演出方法、仕事とボディビルを両立した驚きの交渉術や、画家としてのセカンドキャリアについてなど、さらに詳しいインタビューの全文は、
#1『「日本では『女のくせに』ってなっちゃうけど…」日本人女性初のプロボディビルダーが、“本場”アメリカで修行中に体験した「カルチャーショック」』
#2『「黒髪ボブはウケが良くて、会場がワーッと沸いた」日本人女性初のプロボディビルダーが語る、国際大会で良い点をとる“日本っぽい演出テクニック”』
#3『日本で“たった1人”の女性プロボディビルダー→60歳で絵画の世界へ…ボディビル界のパイオニアが「まさかのキャリアチェンジ」に成功した理由』
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