ぼくらは みんな生きている
生きているから 歌うんだ
ぼくらは みんな生きている
生きているから かなしいんだ
てのひらを太陽に すかしてみれば
まっかに流れる ぼくの血しお
てのひらを透かしてみたのは懐中電灯だったが、「ここは太陽のほうが詩らしくなるな」と考えて太陽にした。詩はこう続く。
みみずだって おけらだって
あめんぼうだって
みんなみんな 生きているんだ
ともだちなんだ
このとき独立からすでに八年がたち、嵩は四十二歳になっていた。
みみずも、おけらも、あめんぼうも、人から注目されることはない。でも、それぞれの場所で、自分の命を生きている。光の当たることのない小さな生きものたちが、自分に似ているように思えた。
自分をはげますために
「てのひらを太陽に」と題をつけたこの詩には、いずみたくによって曲がつけられた。
少し前、嵩は永六輔が初めて演出したミュージカル「見上げてごらん夜の星を」の舞台装置を担当した。一面識もなかった永六輔に突然頼まれ、例によって断り切れずに引き受けたのだが、これがとても楽しい仕事だった。このとき作曲を担当していたのがいずみたくで、すっかり親しくなったのだ。
やがて多くの人に親しまれることになるこの歌が初めて世に出たのは、一九六一(昭和三十六)年、NETテレビ(現在のテレビ朝日)の朝のニュースショーだった。当時の嵩はテレビやラジオの仕事もするようになっていて、この番組の構成を担当していた。歌ったのは司会をしていた宮城まり子である。
翌年、NHK「みんなのうた」で放送され、ボニージャックスが歌ったレコードもヒットする。小学校の音楽の教科書にも採用され、知らない人はいないほど有名になったこの歌は、嵩がもっともつらい時期に、自分をはげますために書いたものだった。

