経済学者・成田悠輔さんがゲストと「聞かれちゃいけない話」をする連載。第5回目のゲストは、野田秀樹さんです。
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「たたずむ演劇」はありえるか?
成田 この間、お笑い芸人のロバート秋山さんと「笑いの新しい型は何か」みたいな話になったんです。落語、漫才、コントみたいにいろんな型があったわけですが、さらに別の型はあるだろうか、と。
秋山さんの答えは「佇まいだけで笑わせる」だったんですね。何も喋らず何もやらず、そこにいるだけの笑い……。
野田 古今亭志ん生という人はまさにそれだったと思いますよ。有名な話ですが、志ん生が高座で寝ちゃっても、お客さんが「起こすな」って言うような。志ん生がいるだけでみんなが嬉しくなる存在だったんだろうな、と。
成田 演劇ではまだ見ぬスタイルはあると思われますか?
野田 たたずむ演劇ですか。どうですかね。技術とか舞台装置はいろいろ変わると思うんですよ。照明ひとつとっても、歌舞伎が生まれた頃の時代は蝋燭ですから、今のLEDとは全然違う。
じゃあ演者と見る側の関係はどうかといえば、昔から私はよく言うんですけど、将来的に人間の目玉が4つになるとか肉体が極端に変わらない限り、身体の表現は変わらないんじゃないかと思っています。技術的なことで変わることはいっぱいあるし、現に今、みんな演出とかで映像をどんどん使っているけど、使えば使うほど、最終的には身体の方に戻っていくと思いますね。
成田 生身の肉体の構造や機能はそんな変われないということが、演劇では新しいものが古いものを駆逐できないことにつながっているのかもしれないですよね。
野田 ですかね。
成田 特に日本の場合、能とか歌舞伎みたいな古典形式が現役で力強く残ってますよね。わかりやすく進歩や成長をしない、新しいものが古いものを安易に駆逐しない。そういう先ほどの特性が実現されている気もします。技術が変わろうが情報が変わろうが、人の体は数百年ぐらいでは変わらないこととつながっているのかもしれないな、と。
野田 そういうところを信じてやってますけどね。

