グイ・ルンメイ 特にこの5年ほど、時々感じることがあります。例えば自分の心の中ですごく繊細で複雑な気持ちがあって、それを母語で表現しようとしてもなかなか表現し切れないことがある。つまり複雑な感情をピッタリな言葉で表現することは、母語でさえも非常に難しいということを、すごく感じるんです。だから、言葉についてはもっともっと勉強しなければならないと思っています。この映画の中ではジェーンと夫の賢治は、2人にとっての共通言語である英語でコミュニケーションをとっています。しかし、どちらにとっても英語は母語ではないので、2人の間にすごく愛があっても、なかなかお互いの内心の微妙な感情を伝え切れていない。母語でだって難しいんですから、英語では尚更です。

撮影:佐藤亘

喧嘩したくないから抑えていたものが爆発する

――人形劇や人形が暗喩であることは映画を観るとわかりますが、ジェーンがあそこまで人形劇を愛している理由を、ルンメイさんはどのように捉えましたか?

グイ・ルンメイ 実はそれと、先ほどの言葉の問題は関連があると思っています。言葉というのは、非常に限定的なものですよね。この脚本に私が魅力を感じた理由は、実はそこにもあります。真利子監督はあえて言葉を使わず、人形劇と人形を通して、主人公の心のうちの感情や、考えていること、あるいは言いたいことを表現しようとしている。そこに、私は心から惹かれました。

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 ジェーンにとって人形と人形劇が大きな存在になったのは、彼女が小さい時に台湾からアメリカに渡ってきて、移民家庭で育ったことが大きいと思っています。差別を受けたというわけではないけれど、アメリカでいろんな苦労を経験したはずで、なかなか人の前では言えないこともあったはずです。口にしたとしても家族も誰も自分の問題を解決してはくれないので、自力で生きていくしかないと悟ってしまった。そういう環境もあって、ジェーンはどこかいつも抑圧されているような人間となり、人形を通して感情を表現するようになった。たとえば、夫の賢治との関係もそうですが、できるだけ喧嘩はしたくないから言いたいこともあえて言わず抑え込んでいて、あとで人形を通して爆発的に表現するんです。

©Roji Films,TOEI COMPANY,LTD.

――ルンメイさんの人形劇が素晴らしかったです。習得するのはかなり大変だったのではないですか?