きっぱりそう言える勇敢さと信念に尊敬を覚えたのは確か。自分自身も未来の社会に何やら不穏なものを感じていて、自分の子どもがまっすぐ育ってくれるかどうか、そこに自信が持てなかったから。
10代の頃の記憶を引っ張り出したのも、なるほどあれはこういう感慨だったのか、と数十年を経て改めて生々しい共感を覚えたから。また結局子どもを持たなかったエクスキューズのために、その伝説的な発言に多少ともすがってみたくなったからなのだ。
本当にこれからの世の中で子どもを育てるのは並大抵ではなく、だからこそ、今この時代に子どもを育てている母親たちには、尊敬すら感じている。とりわけ働きながらの子育てには本当に頭が下がる。ただ、産まないことは自分にとってやっぱり必然だったと、そういうふうに気持ちを収めたのだった。
そして、誰にも何も残せないという発想をやめてみた。誰にも残す必要がないからこそ、今できることがあるというロジックにシフトしてみた。ましてや人それぞれ使命があるならば、母にならない分だけ、何か世の中の役にたたなければまずいんじゃないか、何の役割も持たない大人になってはいけないのだと、思うようになったのである。
子どもがいない人生を振り返った吉永小百合さん
ちなみに吉永さんは約10年前にも、子どもがいない生活を「平穏だった」と語っている。まさに折に触れ、その時代なりに、その年齢なりに、子どもを持たなかった理由を語ってきたのだ。
そして最近では、「映画は自分の子ども、そう思って一本一本大切にしていきたい」と語っている。そこでこんなふうに逆の発想を持つこともできるのではないかと思うようになる。「なるほど自分はこの役割のために産まなかったのだ」という理由を探していくという。
それこそ死ぬまでにそれを探し出したいと思っている。子どもがいようといまいと、人生後半は自分のための人生になる。その時はじめて、自分の役割が見えてくるのだろうから。そして“全ては意味のあること”なのだから。
齋藤 薫(さいとう・かおる)
女性誌編集者を経て美容ジャーナリスト/エッセイストに。女性誌において多数のエッセイ連載を持つほか、美容記事の企画、化粧品の開発・アドバイザーなど幅広く活躍。『“一生美人”力』(朝日新聞出版)、『なぜ、A型がいちばん美人なのか?』(マガジンハウス)など、著書多数。近著に『年齢革命 閉経からが人生だ!』(文藝春秋)がある。


